特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座394


「武道は日本伝統芸術の基(2)」


一服のお茶に命を潤し、一輪の花に生命の尊厳を思い、
幽冥の世界に漂って歌を詠み、天国を夢見て舞を舞う。

すべて明日を思わず今を尊び、命の愛おしさを知っている
武のつわもの達が育んだ究極の世界。

その壮絶なる命の雄たけびとも言うべき技の粋も、
現代ではすっかり影を潜め、威勢も無くなった。

今では、主にその大半が余暇をもてあます貴婦人たちの、
また病弱な男性らの文化的嗜みとして、
その席を譲ってしまうことになった。

「戦いが治まり、太平の世となった現代に
武道などというきな臭いものは要らない」

「そんなものをやらなくても、ほかに能楽、茶道など
優れた芸術が沢山あるではないか?」

・・・誰もがそう思うことであろう。
ごもっともなことである。

もちろん歌を詠み、舞を舞い、一服の茶を喫する
雅な学び事は大切である。
残していかなければならない芸術であろう。

しかし、同時に今こそ「練り鍛えるという類のもの」に
目を向ける時がきたのではないか?

創造、再生、治癒、向上、信仰などの力を培う時代に
入ったのではないか?

武道は、究極の心身のコントロール法であると同時に、
神からの道、神への道を知る鎮魂帰神法でもある。

それは万物を産み出すエネルギーの根源を学ぶ道。

その鍛錬は極限の状態にまで自己の心身を追い詰め、
もう、これ以上突破できないと言うところまで
ボルテージを上げる。

そして最高点に達したとき初めて人は「神」を見る。

神を見た者は、
己が体の使い方や心の持ち方を自ずと覚る。

そして、わが魂の来たりしところ、
帰るべきところを自ずと覚る。

いま、神は「一本の剱」を
我々に与え神への道を明らかにする。
このツルギこそ心と体の秘密を探る道具である。

このような最古とも言える歴史ある武道が、
他の芸術より安く見られ、また実際に堕落したのも、
途中に「血塗られた時代」と「我欲のために用いられた時代」を
経たためと思われる。

私達は、神様の道具〜「神様に使っていただける剱」と
なれるよう、ひたすら己を磨くことに専念したいと思う。

続く・・・