「与えられた二つの力」
和良久の世界に入ってからというもの、
私にとって昔では考えられないほど穏やかな日々を
送らせていただいています。
螺旋を描く、そのまろやかさは動くたびに心和み、
時には例えようの無いほどの至福感にひたることもあります。
それは、まるで神様が自分とともに
側にいてくださるかのような心強さです。
「神、われとともにあり」その言葉が
とても実感できる気がします。
世界の誰にも決して真似の出来ない複雑、精妙なる螺旋運動。
この特殊な技を言葉の数だけ保有出来ることは、
かなり私にとって満たされた思いと言いますか、
自信になっています。
そして、とりあえず、幼いときから憧れていた力が、
その願いどおりに身についたような喜びでいっぱいです。
しかし欲なもので、亀岡に来て以来、
また次の願いが生まれてきて、先を見れば道は遠のくばかりです。
いま自分自身の内を見ますと、二つの力の使い方が、
一緒に同居しているのをはっきりと自覚ができます。
力の根源は同じなのですが、その使い方が二つになるのです。
それはスイッチ一つで切り替わります。
人間には神性と獣性があると言われていますが、
獣性である破壊の技と、神性である創造の技の二つを
形として自覚できます。
幼少よりやってきた、破壊の力である鋭角波動をもつ格闘の技は、
今も刻印されたように私の中にしっかり根付いています。
また、それとは反対の、創造の力といわれる螺旋波動をもつ
和良久の技は、もっと強烈に、例えば固い岩を削り落とす
波のように、すべてを飲み込む竜巻のように
自分の中に刻まれています。
螺旋を知ると、同時に鋭角を自覚できるようです。
丸い世界に身を投じると、四角いものを肌で感じ取れるようです。
光に照射されると、同時に影を見ることが出来るように。
創造と破壊は同時に存在する。
神と悪魔の力は同じである。
・・・先人たちに聞いたその言葉は、
もしかしたらこういうことなのか、と思えます。
知らぬ間に、破壊と創造の技が、
自分の中に同じレベルで息づいていたのです。
思いを冷たい方に切り替えれば、いつでも人を倒す技となり、
また、思いを温かい方に入れれば人を生かす技となる。
こういった「二つの力の使い方」を与えられたということ・・・
何か試される時がやってきたように思えてなりません。
「あなたの斧は金の斧、銀の斧、どちらですか?」
そんな童話がありましたね、そんな心境に似た感じです。
体的技術はともかく、さて心は?と申しますと、不思議なもので
創造と破壊の両方存在しているとは言え、
私の本心は圧倒的に創造を志向しています。
これは、きっと破壊の怖さを思い知らされた経験からでしょうか。
また素晴らしい信仰に出会ったたまものでしょうか。
時に破壊の心も頭を出すこともありますが、
そこは「スーウ」の力・・・
つまり主神(ス)から人に付与された直霊(ウ)が、
そんな時のために立ち働いてくださいます。
続く・・・