特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座451


「見る、観る」(1)


あなたは物を見るとき、その物のどこを、
そして何を見ていますか?

そして、それは本当に、
その物の本質をとらえていますか?

もしかしたら、あなたの見ているものは「虚」のもので、
「実」ではないのではないでしょうか?

いままで見ていたものが、
じつは本当のものではなかった・・・
そう考えてみたことはありませんか?

あなた自身についてもです。

あなたは、本当のあなた自身を知っていますか?
実は一番判って無いのが自分自身のことなのです。

まず、あなたは、あなた自身を知るべきです。

あなた自身のことが分かれば、きっと周りのこと、
あらゆることの真相が判明してくるでしょう。

何か、いきなり訳のわからないことを言いましたが、
これはとても大事なことです。

獣は、獣の眼で物を見ます。
昆虫は、昆虫の眼で物を見ます。
魚は、魚の眼で物を見ます。

生き物は、それぞれのレベルに合った位置から
物をとらえます。

それは、それぞれの魂の欲するところを、
肉体にも学習させ、霊肉ともに一致させるためです。

他の生き物はいざ知らず、人は神の子と言われています。
向上を望めば、どこまでも向上し、
堕落すれば底なしに落ちていくでしょう。

人は、神にも悪魔にもなれる分岐点に立つ生き物です。

基本的には神への道を志向していますが、
しかし、われわれが神への道に向かうための
訓練に耐えれるか否かが問題です。

人生を生きていく上において、
そして、それが神への道を志向したのなら、
なおのこと物を見る眼を養わねばなりません。

本物を見る眼です。

魂が、肉体のレンズを通して見てきた事象、
それがどのような画像なのかが問題です。

魂の高い者が見るものと、そうでない者がみるものは、
同じ物を見ていても映り方が違います。

霊格高い者が見ると、
その物の本質を捉える見方をします。
分かりやすく言えば相手の「中心軸」を見ます。

それは真実の姿を見ているということです。

低い者の、物をとらえる眼は、
その物の表面しか見えません。
もし、見る対象物が、
うわつらを飾っているだけのものなら、
その上げ底の中身が見えず、
外側の虚飾しか眼に映らないでしょう。

そういう風にしか眼に映じないため、相応の理によって、
また自分も中身を隠すため、うわつらを飾ろうとします。

そういう者達を、霊格高い者が見ると、
いくら着飾ってもまったく無駄で、
まるでレントゲンをとるように、
その者の正体が透かして見えるのです。

高貴なお姫様だと思ったら、なんだ中身は獣だった・・・
という風にです。

冷静に見ていたら、狸が人に化けていようが、
狐が化けていようが、その獣独特のにおいと、
卑しい所作は隠すことは出来ません。

この、物を見る眼を養うには、
いくら眼の掃除をしてもだめです。

眼の奥にある、その本体である
魂を磨かねば意味がありません。

獣は、獣しか見えません。
またそれが懐かしく思えるのです。

人は、神にもなれる尊い魂を持っています。

ですから、霊性の向上は非常に簡単です。
その魂の存在に目覚めるだけなのです。

魂の高さ、清らかさに気づいて、
それを認め、本心から納得し、感謝することです。

そうすると、物を見る眼が変わってきます。
眼に映るものが、今までと違うのです。

自分には出来ないことだ、そういったことは
自分のような凡人には無理なことだ、
また選ばれた方だけの特権だ・・・

そう思っている人には、
永遠に本質を見る眼を得られないでしょう。

「どうせ、人は汚い生き物だ。
本音を隠して、心の中はどろどろのくせに」

などと、人の本心は、まるで悪を行うことが
正直であるかのように思っている方が
今の世では大半です。

確かに、表面の意識は汚れているかも知れません。
しかし、意識というのは、
二層、三層と幾重にも重なって出来ているものなのです。

その何層目あたりをみて、非難しているのでしょう。

表面の相にいくほど、物質的思想に満たされており、
それを見る限りにおいては、やはり汚れているのは
仕方の無いことなのです。

しかし、奥へ行くほど心は澄み切り、
神の意識と同じレベルの意識が存在しています。

霊格の高い者は、人の本質を見ます。
つまり、その意識層の最も深い部分を
とらえる眼をもっています。

そして、どのような者にも潜む、本来の魂である、
直霊に向かって直視し、
それに向かって言葉をかけ話し合おうとします。

ですから、話しかけられる相手も、
自分の中心に向かって
相手から言葉が食い込んでくるため、
思わず本心からの答えが出てきだします。

お互いに、本心からの言葉なので、
そこに形容のしがたい感動が発生し、
思わず涙が溢れてまいります。

神人に遭遇すると、心が澄み切り、また心が洗われ、
一気に浄化作用が働いて、
それが「涙」となって体内から出てまいります。

ある純真で無垢な人に出会ったとしましょう。
その人と話し合ううちに、なぜだろう、
なぜか分からないが涙が溢れてならない・・・。

こんな経験をなさった方も
沢山いらっしゃることと思います。

中心と中心が触れ合うと、共鳴し、震動を起こします。
それが感動を引き起こす基なのです。


続く・・・