「憧れの大日本武道宣揚会」(5)
今回、水害に合われた被災地、
豊岡への救援活動には、
大本や、和良久と言う団体からではなく、
個人で参加させていただいた。
道中や作業中において、
自分というものを見直すきっかけが出来たことは、
本当に神様のおかげであった。
被災地では、私がリーダーに選ばれ、
一個部隊を率いて、特に重労働を要する
現場専門の救援活動に奉仕させていた。
わが部隊は、きつい仕事専門である。
だから、もちろん屈強な男性ばかりが集まった。
そして、つたない私の指示で実によく動いてくれた。
彼らは、広島から、大阪から、神戸から、
神奈川から・・・と、様々なところから
手弁当持参で駆けつけた人たちである。
学生、会社経営者、自衛隊など職種も様々である。
皆、それぞれ仕事や学業の都合をつけ、
個として参加している。これは素晴らしいことである。
企業の見栄や、団体の宣伝活動とは違い、
個人参加者たちは、自分の意思で、
自己の責任で静かに集まっていた。
誰一人休息中でも自慢話をするものなどなく、
淡々として、どんなきつい作業も、
汚い作業も黙々としてこなしていく。
私たちは、ただひたすら、被災した方たちの「復興」を、
一心に祈りつつ作業をさせていただいた。
この気持ちを忘れてはならないと思った。
これこそ陰の御用、武道に携わる者の精神だと思った。
被災された家族の皆さんは、
「申し訳ない」と何度も頭を下げ、
周囲に気をつかわれる様子が、
私には気の毒に思え辛かった。
私たちは、くどい慰めの言葉より、
ひとかけらの廃材を運び込むことに専念した。
その力強い無言の行動が、
ご家族に響けばと願ったからだ。
その現場の作業も終わり、
ボランティアセンターに帰還し、
そして班の解散時に、班の一人が
班員を代表して私に対し、挨拶をしてくださった。
その方は、元自衛隊の幹部で、
あの神戸の震災時には自衛隊員として
半年間に渡る復興作業をこなした猛者であった。
「班長殿、私たちは本当に
物の判った班長殿に出会えて光栄でありました。
きつい作業も心から楽しくせていただくことが出来ました。
本当にありがとうございました。
またどこかで出会えますことを楽しみにしています」
私は「またどこかで会いましょう」と、
皆さんと固い握手をして別れた。
救援活動をさせていただきながら、
実は本当に救われたのは
自分自身だったのかも知れないと思った。
人のためにと思ってやってきたことが、
本当は自分のためやってきたことであったのだ。
自分を愛するように隣人を愛せよ、
そうイエスが言ったことを思い出した。
それが基本だということを学ばせていただいた。
人のために・・・といった、
おこがましい考えは傲慢であった。
自分がさせていただきたいからやるだけである。
また、もう一つ。
何より、こんな災害の復旧活動を短期になすには、
自身を鎮魂し帰神してこそ、
最大の能力が発揮できるように思えた。
支援活動にあたり、力の入る作業なので
手力男の神の守護を願った、
また被災者の経済的復興に際し、
竜宮の乙姫様に守護を願った。
復興作業を円滑に行うには、グループの和が大切である。
場を和ませる・・・これはアメノウズメノミコトに願った。
また水を司る竜神、地を揺るがす金神、
風を吹かせる風神など、神様の穏やかなること、
適切なることを、お詫びとともに心から祈った。
幸い活動中は、雨天との予報もはずれ好天に恵まれた。
暑くもなく、寒くもなく、実によい状態で臨めたことは、
これすべて天地火水を司る諸神のご慈悲とご活動
あってこそと改めて感謝する。
そして、このように、自然の力のこと、
大日本武道宣揚会のこと、故郷のこと、
自分の生い立ちのことなど色んなことを
思い直す機会を与えて下さった、
うしとらの金神さまに感謝してやまない。
最後に、稽古を変更して迷惑をおかけした
各地区の稽古人の皆様に深くお詫び申し上げる。
会員の皆様の寛大なお心があったればこそ
決行出来たことである。
和良久が、大日本武道宣揚会の意思を忠実に受け継ぎ、
そして、それを凌ぐものになることを信じて疑わない。
なぜなら神と、そして、今ある皆とともにあれば
不可能はないからだ。
続く・・・・