特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座467


「福知山音頭」


『福知山出て 長田野(おさだの)越えて 駒を
早めて亀山へ ドッコイセ ドッコイセ・・・・』

子供の頃、夏休みに田舎(天田郡夜久野町)に帰ると
丁度お盆の時期に差し掛かる。

夕暮れ時、どこからかともなく
聞こえてくる村人たちの歌声。

ほのかな提灯の灯りの中、小さなやぐらを立てて、
その周りを僅かな村人たちが
音頭に合わせて踊っている。

子供も、お年寄りも、また
あの世から戻ってきたご先祖さんもいっしょに、
楽しそうに手を振り、足を振っている。
遠い夢の中で、今でも幽玄に
この情景が浮かんでくる。

なぜか福知山音頭の最初のこの一節は、
私の脳裏から離れない。

亡き母も、よく口ずさんでいた。
私にとってそれは子守唄であったのだ。

唄の文句をよく吟味しなかったせいか、
その福知山音頭が、明智光秀を讃える唄であろうとは、
この歳になるまで思いもよらなかった。

それまでは、本当に何気なしに口ずさんでおり、
また、わが故郷を統治していた方とは
考えたこともなかった。

第一、自分が丹波の出であることすら
意識したことがなかったぐらいだ。

「時は今 天が下なる 五月かな」 明智光秀 詠

いま、亀岡の、その光秀公の城跡にいて、
そこで世の和合のための武を練り、
和良久の名の元に旗を揚げることになろうとは、
思えば、まるで夢のようだ。

天海僧正となった、千利休となった・・・
様々な憶測が飛び交う不思議な武将。

いずれにせよ「鳴かざれば 放してやろう ホトトギス」
と詠った光秀の精神は、許すことの大切さを諭し、
和良久の趣旨に合致する。

つい最近のこと、熊本に稽古に行った際に
立ち寄った細川家の御陵。

光秀の娘お玉こと、細川ガラシャ夫人の御霊に
痛く感じ入るところあり、
帰宅後私は夫人の霊を
綾部の神殿に合祀させていただいた。

私は、一時、聖書を片時も離さず
持ち歩き研鑽した時期があり、
旧約、新約ともに、
その言葉の一言一言が魂に沁みた。

『私があなたを立てたのは このことのためである
すなわち あなたによって私の力を現し
また 私の名が全世界に言い広められるためである』


『あなたは立ち返って落ち着いているなら救われ
穏やかにして信頼しているなら力を得る』

このような、いくつかの聖言が今も口をつき、
私を奮起させてくれる。

そんなキリシタンがらみのご縁もあってのこと、
ガラシャ夫人にみ慰めのみ祭りを
行えたことを嬉しく思う。

熊本に稽古のご縁をいただいたのも
光秀公のお計らいと感謝し、
またこの親子の数奇な運命に
労いの祈りを捧げたかった。

その光秀を讃える福知山音頭。

音頭の由来については、こう記されている。

今を去ること400年、天正年間(1573〜1591)に、
明智光秀が織田信長の命を受け丹波を平定し、
亀山(今の亀岡市)と福知山の城主となった。

この時、光秀は新たに、石垣と天守閣を備えた
立派な城を築いた。

その際、領民たちが石材や木材を城に運ぷ時に
「ドッコイセ」「ドッコイセ」と手振り、
足振り面白く唄い出したのが、
福知山音頭の始まりであると伝えられている。

光秀は丹波地方平定後、自分は亀山(亀岡市)に居城、
福知山には明智秀満を城代として配置。

使者が長田野(現代、福知山の工業団地として有名)
を越え、連絡に往来した当時の情景を
この音頭は伝えている。

また、この唄は、
福知山で生まれた大本開祖出口直が、
亀岡の上田喜三郎(出口王仁三郎)と出会うという
暗示ともとれ、非常に興味深い。

不肖、私も福知山で生まれ、
亀岡に来させていただいたご縁も、
思えば幼少より母の口から子守唄代わりに聞かされた
「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて 亀山へ」
というメッセージが潜在意識に刻み込まれての
行動だったのかもしれない

私自身も、気持ちが沈むとき、
思わず口にしてきたこの一節が
まさに現実化したのだ。

いまさらながら言葉のもつ力に驚異を覚える。

少年時代、皆と遊んで
夕暮れ時一人で帰る道すがらに・・・

また高校時代、空手修行に上京した
帰りの電車の中から見える夕焼けを見て・・・

内弟子時代に、夕方稽古に行く途中で・・・
単身アメリカに渡った時、当地で夕焼けを見ながら・・・

いずれも共通しているのが、夕暮れ時であり、
故郷を想いつつ口ずさんだのだった。

少年時代の夏休み、田舎に帰ったときのお盆。

夕暮れ時、叔母に手を引かれて、
ドンドンと小さく響く太鼓の音につられて
踊りを見に行った時のこと。

叔母が「今日はご先祖さんも帰ってきて賑やかや・・・」
と言い闇に向かって手を合わせていた。

その間も聞こえる
「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ
ドッコイセ ドッコイセ ・・・・」

いつしか自然に覚えてしまったこの唄の文句が、
以下の意味を含んでいることを
神様にお教えいただいた。

「神の御心知ったなら

それを世人に伝うべく

いかな苦難も乗り越えて

いと速やかに事上げよ」


そして、光秀公の古今独歩の、
その人生に対する不退転の覚悟を、
次の歌によって知り奮起する。

『心知らぬ人は何とも言わば謂え 
      身をも惜しまじ名をも惜しまじ」』


そして聖書も言う。

『あなたは衰えず落胆せずついに道を地に確立する
海沿いの国々はその教えを待ち望む』


続く・・・・