特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座469


「日本〜その淡々とした姿」


相手によって態度を変えるという
落ち着きの無いものではなく、
いつも平常心を保てるよう自己を鍛錬することが今後、
日本が国際社会でリーダーとなっていくに
必要な要素ではないかと思います。

相手が立場上偉かろうが、有名であろうが関係なく
「正しいことは正しい、間違っていることは間違いだ」
と指摘出来る・・・

そんな中庸の立場を保持することが、
いま日本人として最も
求められることではないかと思います。

中庸・・・これは自信がなければ
もてることではありません。
自信があれば「淡々」としていられます。

大和(日本)魂というのは、そういった
淡々としたものではないかと思うのです。

和合と言うものも、やはり淡々とした思いと
態度から生まれるものではないかと思います。

偉いとも思わず、偉くないとも思わず、
偉いとも偉くないとも思わずとも思わず・・・とは、
出口日出麿先生のおっしゃったことですが、
これこそ中庸であり、中心軸の形成せし人の姿なのです。

出すぎず、引きすぎず、
上がらず、下がらず、
右に傾かず、左に傾かず・・・

いつも中心にあって物事が見れたら、
本当によく世界の動きが把握出来るのではと思います。


心は慌てず、騒がず、いつも冷静にあってこそ
的確な判断がつくのでしょう。

これは決して喜怒哀楽のない、
冷めたような人間性ではなく、
内に秘めた気持ちのあり方だと思います。

感情を押し殺すというのではなく、
時所位に即応した適正な態度がとれてこそ、
技が極まることを思えば、
やはりこういった心持ちを得ることが
出来るよう鍛錬せねばと思います。

もし、我々「出来ていない人間」たちが
感情の発するままに生きるのが
自然であるというのであれば、
それは秩序を崩壊させることにつながります。

例えば、地球という生き物が感情のままに
振舞ったとしたらどうなるでしょう?

火山は爆発し、風は吹きすさび、波は高くなり、
水は溢れ地上世界は大変なことになることでしょう。

地球は、中心を保ち、それを軸に緩やかに
旋回しているからこそ秩序が保たれています。

これ、中庸であります。
地球が中庸を保っているからこそ
季節は規則正しくめぐり、
五風十雨違わずやってきて恵みをもたらすのです。

千変万化に動く相手の動きをを静かに、
かつ的確にとらえ、そして水火を合わせて技を決める
・・・のが武道であります。

武道の稽古にとって中庸を保ち、淡々として
物事をみていくことは非常に重要なことであります。


俗に、有名人に弱いと言われる方たちがいます。

芸能人や政治家、スポーツ選手など、
マスコミで騒がれている人に会うと、やたら平身低頭し、
悲鳴に近いような声で声高に叫び、
カメラを向け、サインを、握手を求めます。

さあ、私にはこの烏合の衆の神経がよく理解できません。

相手によって言葉や態度が変わるというのは
なぜなのでしょう。

なぜ一般の人たちは有名人に弱いのでしょう。

相手が、その分野において快挙を成し遂げたことに対し、
敬意を表するのは人として当然の儀礼だとは思います。

しかし、専門外である一般の我々としては、静かに
「ご苦労様でした・・・」と言ってあげれれば、
それでいいのではないでしょうか。

例えば、スポーツの選手などで、

「俺は国のため、おまえらのために頑張ったんだぞ」

「おまえらは俺を尊敬しろ。そしてもっと活躍するため
すべての者は俺を応援しなければだめだ」

と言う気持ちがあったとしたら、
それはまったくお門違いと言うものです。

自分の好きなことを、ただ一心にやっている・・・
それだけで満足のはずではないのでしょうか。

そこで、自分と同じ分野での先輩、後輩などの関係なら
それは上下関係も成立するでしょうが、それ以外の者に、
その上下関係を強要する姿勢が
強いのは腑に落ちません。


先日も、横綱の某氏に会う機会を得ました。
非常に傲慢で、日本魂のかけらもないその言動に
あきれた経験をいたしました。

肉食獣特有の凶暴さと種牛のような強欲さは、
勝負の世界に生きるものの
必要不可欠なものなのでしかたありません。

贔屓筋には、巨体を小さくして、
借りてきた猫のような態度を見せ、
一般の人たちには
「おまえら邪魔だ、俺様を誰だと思っている」という態度。

こういう人間を育てた周囲の
横綱に対する扱いが原因と思われます。

オリンピックなどをはじめとするスポーツ選手、
また野球やサッカー、ゴルフなどプロスポーツの選手。

年俸いくら、賞金いくらなど、お金、お金、お金の世界。

彼らがすぐ引き合いに出すのが
「アメリカでは、普通これだけの報酬をもらっているのに、
俺たちは・・・」と比較することです。

なぜ西欧諸国がスポーツに力を入れるのか?

文化、伝統のない西欧が、
我々歴史有る東洋に太刀打ちできる物は
「スポーツと軍事」しかないのです。

つまり「力ずくで奪い取る」という悲しい手段を、
文化として昇華していこうということなのです。

歴史のない国ほど、新しいものに力を注ぎます。
アメリカなどその最たるものです。

スポーツも自国の威勢を他国に知らしめる
軍事的手段のひとつなので、やたらプロ化して
お金をかけているのです。

スポーツの盛んな国は、軍事力も充実している、
というのも面白いこととは思いませんか?

戦う国、一見すごそうに見えますが、
これは裏返せば自信のなさの現われです。
自信がないとすぐ戦います。

前にも言いましたが、
スポーツは元来戦争から生まれたものです。

ですから、スポーツをすると
弱肉強食の精神になるのは止む得ないことなのです。
金、女、権力・・・それらを奪取する気持ちが
起きるように仕組まれているのです。

元プロスポーツ選手などが集まって
「スポーツ平和党」などという政党を結成した
ということがありましたが、
彼らに政治を任したらとんでもないことになります。

彼らは自分が選ばれた優れた人間だと思い込み、
スポーツしない者、運動を行わない者は
「だめ人間」だと決め込みます。

筋肉のみ動かして勝つことだけ・・・
つまり力ずくで奪うことを考え、
相手や、相手チームの敗北を喜ぶ「われよし人間たち」
が政権を得たら日本もまったく外国化してしまいます。

彼らは潜在的に日本を
「外国化」することを望んでいます。

それは、スポーツによって腰の入らない、
腹の据わらないよう教育し、
日本人を腰抜けにしていく計画です。

戦後、アメリカの占領軍は、3S政策(スポーツ、
スクリーン、セックス)の導入によって
日本を骨抜きにしようと目論みました。

いま、最近の日本を見るに、そのアメリカの計画が
見事に結実した様を彷彿とさせます。

こっちの計画にまんまとはまった・・・
向こうはそう思っているでしょう。
悪神も微笑んでいることでしょう。

しかし、一厘の仕組みがこの計画を覆します。
世をうしとらに隠れたる神の最後の力、その力とは、
言霊の力の発露のことです。

言霊の正しい運用を知ることこそ、悪神を追いやらい、
正しい力を発揮させ、すべてを淡々とした中庸に戻し、
自分を、そしてこの国を守る基本となります。

いますぐ元の日本を取り戻さないと大変なことになります。


続く・・・