75剱〜言霊剱 (5)
ここで少し私の具体的鍛錬
及び体験をお話したいと思います。
大本へ来まして理想と現実の狭間立つことになり
随分人生について悩みました。
理屈では分かっていても果たして神が本当にあって
私たちを動かしているのか?
また私のやっていることは本当のご神業なのか?
こんな世間外れたことをやっていていいのか?
どうやって現実とのギャップを埋めるのか?
・・・・様々な葛藤や悩みが、胸をかきむしり、
その中にあってもなお取付かれたように稽古は続けました。
正道会館にも「辞任届け」を出し、空手の世界に別れを告げました。
煩わしい世間的しがらみを一切取り払うためでした。
霊山「高熊山」にも毎朝登山しました。
冬の朝、すべてが凍てつく中で水行も行いました。
禊の神事や鎮魂の行も行いました。
寝食以外のすべての時間を道場で過ごしました。
「神よ、我に力を与えたまえ」
24時間この祈りに終始しました。
稽古と祈りの毎日。
大本の人たちとも顔見知りも出来、
少しづつ仲良くなりました。
何の偏見の目で見られることもなく
ここでは大手を振って稽古が出来ました。
稽古の半ばに、大本の資料室に閉じこもり
ご神書と言われる「大本神諭」「霊界物語」
他、膨大な教典を拝読。
また難解な霊学、言霊学も研鑚しました。
幸いここにはすべて必要な資料が取り揃っていました。
奥山先生の稽古は、そのほとんどが「理念」の稽古です。
つまりお話を聞くことです。
体を動かす稽古が2〜3割
お話しが7〜8割といったものでした。
「水火の鍛錬と言葉の鍛錬」を積まなければなりません、
とよくおっしゃっていました。
いまでは何でもない専門用語ですが、当時はこれが日本語か・・・?
と思えるくらい、何を言っておられるのかさっぱり分かりませんでした。
話は水火(イキ)のことについての話がほとんどです。
連日、「この技の、この部分は吸う息で、
吸った瞬間吐くんですわ・・・」と言った話です。
あと木剱を削ること。
「自分の剱は自分で削らなければいけません」
と言われ、何本か削りました。
削るということはとても良い鎮魂になりました。
続く・・・