特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座49

75剱〜言霊剱 (6)

75剱の稽古をするに当たってご承知のように、
まずその基本になるのが「八剱」です。

和良久では、この八力の型をもって稽古のはじめとします。

これでしっかりと動きの方向、つまり力の及ぶ方向を知ります。

以下のことを覚えてください。

動きは腰が中心です。

さて腰を動かすといっても、たんにお尻を回したり、捻ったりしても
何の効果にもなりません。

それはスポーツでやっていることです。

お尻を回したり、捻ったりするだけでは、たんに回転運動になるだけです。

回転ではなく、もっと立体的に「球体」と化するのです。

そうでなければ本当の稽古にはなりません。

さて腰は、肘と膝につながっています。

両肘を肩幅にキープして、両手を相対させ
両手掌を上に反し、下に反しすると、腰が
動きます。

もっとつめて言えば手の人差し指の捻りが腰を動かします。

鼻をほじる力があれば腰が動き、腰が動けば全身が動きます。

腰は、主に以下のような働きをします。

<縦の腰>
地であり、水である・・下田(下腹)が司る

●両腰の下が閉じて上に開く (下閉上開)
〜合・静
●両腰の上が閉じて下が開く (上閉下開)
〜分・動

<横の腰>
天であり、火である・・・・上田(額)が司る

●右腰が上に向き、左腰が下に向く
〜凝・解
●左腰が上に向き、右腰が下に向く
〜引・弛

<前後の腰>
人であり、旋回である・・・中田(鳩尾)が司る

●両腰の前方が開き、後方が閉じる
〜ウ(打ち上げの突き)
●両腰の前方が閉じて、後方が開く
〜ウ(打ち下しの突き)

この縦(上下)、横(左右)、前後の腰の動きは螺旋運動により
一つに統合され、平面的な円運動を脱却し、見事な球体を形成します。

これは腰の中心部分にある仙骨を刺激し、仙骨の前面に位置する
「臍下丹田(下田)」に力を与えます。

この下田は、人体のエネルギー発生装置です。

下田は先に記しましたように、「縦(上下)」を司る最も強い力を有します。

このエネルギーは上昇する性質をもっています。

それは脊椎を伝わって螺旋して上昇し、鳩尾(中田)において
前後の力を発生させ、動きに「前後(進退)」をもたせます。

そしてさらにエネルギーは螺旋して上昇し、額(上田)に達し、
左右の力発生し「左右(広がり)」をもたせます。

この、下田→中田→上田と螺旋しつつ舞い上がるエネルギーは、
ついに全体を球体化せしめ、強大な力となって、ついに
脳幹を突破して高天に至ります。

「神への道、神からの道」が開けるのです。

■下田(地)→中田(人)→上田(天)→
高天(神)

この上中下の三田を総称して「丹田」と言います。

この三田を結ぶことが「鎮魂」であり、鎮魂が成ったならば、
次に来るのが「帰神(きしん)」なのです。

鎮魂に至る過程において、四魂が練られ
帰神において一霊と直結します。

じっと正座瞑目して精神を練るのも大切かも知れませんが、
我が国では修行といって「行いを修める」と書きます。

「行」は体を動かすことであり、じっと静止することではありません。

しっかり動いて・・・例えば山奥で一人で物思いにふけるのではなく、
沢山の人と接し、沢山の経験を積むことが人として本当の行になるのです。

決して現実から逃避してはなりません。
そこに向上の道はありません。

インドの方法である瞑想も悪くはないでしょうが、
それにふけっていてはなりません。

しっかり先に言った「行」を積んでのちに、心を整理する意味で、
こういった瞑想を少々やるのは構いませんが自己陶酔は危険です。

我が国の「修行」は、活動を通して物事の本質を覚ることにあります。

秩序あって、明るく活発なイキイキした類こそ日本の「行」なのです。

瞑想の実践者たちに共通する「うつろな影」を有してはなりません。

それは邪の入りやすい状態となります。

気を浮かせず、「重心」をしっかり保ち、しゃきっと背筋の通った
「中心」のある重厚で、爽やかさをもたなければなりません。

螺旋は、このように精神の向上を志向しており肉体の上においても
画期的な効果をもたらすのです。

それは筋力強化、ストレッチ効果、呼吸機能の活発化などを
部分的に行うのではなく、同時にやってしまうのです。

運動の分散化ではなく、統合化が可能になります。

このように中心から成る螺旋運動は、全身に効果的な影響を及ぼし、
それは的確に精神面の次元上昇となるのです。


続く・・・