「十字の法」(1)
我々が基本の型とする「八力の型」は、
前後上下左右対照に○を描き、十字をきり、
中央に点を打つ動きであることはご承知のごとくである。
「○」「十」「・」の形を描くことは、
宇宙の力なる螺旋の働きを簡潔に示し、
無限の宇宙の力を受け、
それを活用することを願っている証である。
五体全身を使っての、○に十字を描くことは、
そこに聖なる空間を産み出し、
自他にかかわる邪を祓い、正しき秩序を再構築する。
また、自他を守護する結界を張り、開運を促す。
和良久の稽古人にとって、心清めて、
静かに八力の型を行うことは、
自己の浄化を促すとともに、周囲に、
この国に幸いあれと願う、
全身を使った五体投地にも似た祈りでもある。
これはまた日本武道を志すものの
日々の勤めではないかと思う。
武を志す者は、基本的に
国防意識が抜きん出て強い者が多い。
魔の手からわが身を挺して
国と人を守ろうとする意識が
知らず知らずに劒を手に取る行為となる。
人を思い、国を思い、世界を思いつつ行う型稽古は、
大きくは大気の浄化であり、
小さくは一身一家を清め祓う動作となる。
この型の意義につき、また動きについての詳細は
稽古においても、またこの誌上講座においても
何度も繰り返し述べた通りである。
一霊、火水、三元、四魂、八力の
日本神道の理念をふんだんに盛り込み、
微細に生かした八力の型と75劒は、
まさに日本そのものを表現する。
武道は、日本が世界に誇る霊的文化遺産であり、
日本を端的に知らしめるなら武道を紹介するのが
最も早く、また何より適切である。
それは理念(霊)と実践(体)が
融合した姿を示せる技を有するが所以である。
日本は矛(ホコ)で生まれた国であると伝えられる。
ホコとは「霊凝」ということであり、
内在する霊的エネルギー(神力)ということである。
神が、その矛をもって螺旋を起こして
この世を創造した際、
純粋無垢なる一滴でできた国が日本と言われる。
矛が、内在する力なら、外に放射する力がある。
これが劒(ツルギ)である。
劒は、螺旋しつつ通り流れる光の意である。
これが武の起こりなり。
その形は布斗麻璽の御霊に現される通りである。
また同時に、水火の御伝でその詳細を
見ることが出来る。
また言う。
武は、神代の昔からあった。
その他の芸事は、それに付随する。
『武士の嗜(たしな)み』という言葉あり。
まず、「もののふ」であれ、ということである。
主なる元を忘れて、従なるものに傾倒せし今の世。
最も、そのような気にさせ、堕落させてしまったのは、
他ならぬわれわれ武に携わる者たちの責任ではある。
創造なる力を、破壊に用いたその責任は重く、
阻害され、追いやられて然るべきものと言える。
だから、いまこそ元の昔に返すのである。
名誉の挽回の時である。
これ元なる神への償いであり、
忠誠の誓い直しでもある。
しばらくは隠忍の日々が続くであろう。
なんだそれは?と世間の、また学識者たちの
誹謗中傷もあるであろう。
無論覚悟の上である。
しかし、今に必ず分かる日が来る。
これが日本の姿なんだと、
これがまことの武の姿だったんだと。
和良久稽古人諸氏には、その日まで耐えて欲しい。
いまはつらいかもしれない。
しかし、誠実と潔白の生活にある者は、
必ず陽の当たるところに導かれるの法則を信じてほしい。
陰にいても、陰にあるのでない。
自らが陰となって人に陽を当たらせる役を
喜んで引き受けよう。
それがまことの素盞鳴の働きと言うことを知れば、
これほどありがたいことはない。
続く・・・