特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座52

75剱〜言霊剱 (9)

なぜ和良久が「和合」の技なのか?

和合・・・「和やかに合わさる」とは
まろやかに(円運動)合わさる(呼吸が合う)ことであり、

お互いが角のない円い動きをもって
調子、拍子、間を取り、
相手との無理なぶつかりのない状態を言います。

和良久では前後、上下、左右が均等に、しかも丁度よい配分で
動けるよう稽古を重ねます。

この前後、上下、左右が一体化すると、それは平面の円ではなく、
まあるい球体と化します。

龍神がクネクネと動く様は、この球体を形成するものです。

古代、風など大気の螺旋をする様を「龍」(流体)と呼びました。

龍、そして龍の螺旋運動により球体と化して玉をつくる・・・

昔の絵師によって描かれる、玉を捧持した龍の絵。

「龍と玉」はこんな関係にあるのではと思います。

国常立尊は龍体(流体)となり、右に巡り(右旋)、
左に巡り(左旋)して、漂える地を形成されたと言います。

出口王仁三郎聖師は、

「国常立尊は文武の神様である。

国土を経営されたのも矢張り矛をもってなさったのである。

その次のスサノオノ尊も、その次の大国主命も、すべて

言向けの矛をもって国土を経営し、創生を慰撫し、天下の泰平を
来たされたのであります」 と申しておられます。

これを見ると分かるように、矛(武道)は決して
破壊殺傷のための技ではなく、国土経営、天下泰平のための
技であることがうかがい知れます。

さて、話はそれましたが、この球体と化したもの同士が相対した時、
それはぶつかって壊れることはなく、お互いの螺旋の力により、
お互いは調和融合され、ますますその球体は、円みを帯びて
拡大化します。

同時に螺旋による遠心力により、心身にとって不要なものは排除され、
同時に求心力によって必要なものが取り込まれます。

この状態が「和合」ではないかと思います。

具体的には、剱の稽古では呼吸のことをやかましくいいます。

剱では「イキを打つ」・・・という表現を多用します。

わが師奥山忠男は、

「剱を打たずにイキを打つんです」

そういつも口ぐせのように言ってました。

剱を打つときでも、相手を打ち据えるために打つのでなく、
相手の剱に力を加えるために打つのです。

倒すのではなく、活かすのです。

螺旋運動から発する剱を使って
イキを打つ、イキを組む、・・・そしてイキを合わせるのです。

お互い「やりにくいよう」に技を仕掛けるのではなくお互いが
「やりやすいよう」に技を仕掛け合います。

このお互いが、お互いを気遣いあって、やりやすい状態をつくること、
つまりお互いが「息の合った形」をつくりあげるのが和良久の稽古です。

さて、ここでもう一度稽古についておさらいします。

和良久の剱の特長は、まず自力で剱を回します。次に
打ちかかってきた相手の剱(他力)が、こちらの剱に当たります。

これで自分の剱(自力)に相手の剱(他力)が加わって、
一つの強大な新しい力が発生します。

その自力、他力の合わさった「新しい力」を相手にお返し(打つ)します。

つまり相手は自分が強く打つと、自分に何倍も強くなって
返ってくる現象を体験します。

ここで、自分がやっただけのことが、自分に帰ってくる・・・という
現象を知ります。

「人事を尽くして、天命を待つ」という言葉があります。

これは、「自力だけの他力」という意味ではないかと思います。

稽古とは、縦には神を知り、横には人と和する・・・

この縦横の関係を学ぶということ、これが武道の稽古の眼目では
ないかと思います。

神界では 「神と神との和合」 を図り、
幽界では 「神と人との和合」 を取り持ち、
現界では「人と人との和合」に、我々は一心になって
努めねばならないと思います。

「天地和合」の言葉は、大本歴代教主様方のよく御示しされた
ことばでした。

和良久がその神業の一端になればと切に思います。


続く・・・