特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座536


変わり


八力は、天ー地の型からはじまる。

この天地の順序に沿い、ものごとの継承は、
上から下へ下る。

かみからしもへ。
天皇の継承も、剱をもって継承されると言う。

技の継承、伝承も、師から弟子に対し、
その力を注ぎ込むようにして伝える。

剱は力であり、剱を与えるとは、
天の力をいただくということである。


和良久の木剱は
本来前田が一つ一つ削らせていただき
皆にお渡しすべきものであるが、

事情をお察しのように、
いまのように大勢の稽古人さんが揃い、

また、まだまだ前田自身の技も未熟ゆえ、
稽古も放っておけない状況である。

ご承知のように、時間がない。

そこで、神様にお許しを乞い、
次のお二人に木剱を削ってもらうことにした。

一人は、亀岡の小西さん、
もう一人は宮崎の荒巻さんのお二人である。

小西さんは、出口聖師出生の地、
亀岡の穴太の里に住まれ、
今世紀最後の神殿「長生殿」のご造営を
手がけた大工さんである。

また荒巻さんは、宮崎の都城を
日本一の木刀の産地として有名にした功労者であり、
わが国の9割の木刀を産出し、
防衛庁御用達の木刀削りの名人である。

現在、和良久の木剱は、
腕が確かなこのお二人の職人さんの手によって
削られているのだ。

しかし、確かに木剱の外形は
お二人の手によって削られているが、
木剱の内形は前田が削っている。

私も、これからいままで以上に忙しくなる。
当分、木剱削りに手がつけられそうに無い。

自分に出来ないことは、
自分の代わりをつとめていただく方に
お願いすることになるが、
代わりと言っても決してあなどらないでほしい。

私が頼んでやってもらうのであるから、
前田が削ったものであると思ってほしい。

これは稽古においてもそうである。

いま、各稽古場の稽古日に、
申し訳なきことながら前田が総て回ることは出来ない。

月に二回、あるいは一回が精一杯である。

だから、私が行けない時は、
その地区の世話人さんが私の代理で
稽古を受け持ってもらっている。

これも神様にお願いしてお許しいただいて
行っていることなので、前田がいない時の世話人さんは
すなわち前田であると思ってほしい。

もし世話人に不手際あれば、
これは前田の責任なので私まで申し出てほしい。


このように、木剱を削るにも、稽古指導を行うのにも、
私が出来ないその時ごとに一心に神様に祈念し、
私自身がやっているつもりで念を入れている。

木剱も、稽古も私が全責任をもって
行ってやっていることである。

決して稽古に関係の無い一職人が
削ったものだと言ってあなどらないでいただきたい。

また、代稽古の者だと言って
あなどらないでいただきたい。

私は、例えば、今日は大阪で稽古しつつ、
東京を思って号令をかけている。

今頃削っているであろう職人さんの業を思って
自分の木剱を手にとって、
削っているつもりで擦っている。

自分の体一つで出来ないことは、代わりを立てる。
代わりは他人ではない。
代わりは、すなわち「変わり」となる。

例えば、私が変化て行っていると
思っていただければ幸いである。

身体は分けることは出来ないが、
気持ちは分けることが出来る。
これ「一霊は四魂に分かつ」の法則による。


きみがいま つるぎをもちてたてるとき
われまたたたむ つるぎをもちて

うつしよに いけるからだはしばられし
とらわれびとと かわることなし

しかれども もとのすがたにかえりなば
しらとりのごと こくうをかけなむ

たとえみは ろくしゃくたらずのみなりとも
つるぎもちなば くもをこえなむ


続く・・