特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座537


神剱の里を訪ねて


天理市布留町布留山。

荘厳な天理教の建物に圧倒される中に
石上(いそのかみ)神社はあった。

またの名を「布都御魂神社」という。

古来よりフツノミタマノツルギという神剱が
わが国に伝わるが、
この神社はその神剱をご神体としている。

この神剱は正義の力として、神武天皇もふるい、
建国の中で重要な役割を果たしたという。

武甕槌神、経津主神が、
この剣の神格化した姿ともいわれる。

また、ここには垂仁天皇の時代、
丹波国桑田村(今の亀岡市)の人でミソカという者が
三種の神器のひとつである
八尺瓊勾玉を献じたと伝えられる。

これはミソカの飼い犬が山の獣を噛み殺した時に
腹の中から出てきた珍宝である。

素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した時、
その腹中の、アメノムラクモノ剱を取り出し、
天照大神に献上した話と似ているのも面白い。

さて、このフツノミタマノツルギの神徳を得て、
茨城県の鹿島神宮で起こったのが
「鹿島の太刀」と呼ばれるものである。

国摩真人(くになずのまびと)が
「攻防一体」の性格が強い技に鹿島の剱に
「虚実一体」の真理を導入して「神妙剣」を創案し、
のちの「鹿島神流」という剣術流儀となった。

鹿島神流の流れには、新陰流の上泉伊勢守秀綱がおり、
この秀綱が奈良の柳生石舟斎宗厳に技を伝授、
石舟斎はさらに深く練磨し、やがて神妙を得て、
無刀取りの神技を完成し「柳生新陰流」を創始する。


ふるふると あらそいはらうつるぎわざ
いまよにいでて くにをまもらむ


・・・ただ奇びなる霊剱の伝承に心打ち震える。

同神社は岡山にある同名の布都御魂神社から、
ここに遷ったのであるが、
オロチを退治せし素盞鳴尊の剱は、
岡山の熊山に納められているという。

岡山の宮本武蔵が、
この奈良の柳生に訪ねてきたのも
何か深い因縁を思う。

さて、石上神社を出て柳生の里に
足を運んでみようと思った。
兼ねてより是非行ってみたかった所だ。

石上神社から約一時間車を走らせる。
やがて柳生の里が広がる。

何の下調べもなくここへやってきた。
しかし、さすが剣術の里である。
腰をすえて歩くと妙jに感が冴えてくる。

「きっとここに何か秘密があろう」
何の躊躇もなく山に向けて歩いていくと
神社があった。

「天石立(あまのいわたて)神社」と言う。

かってここで柳生石舟斎、
および柳生の武士たちが日々練磨したという。

鳥居をくぐり、しばらく歩くと、
とてつもなく大きくて平たい岩が
2〜3枚ほど立っている。
われ知らず腹の底から力が湧き起り涙があふれてくる。

さらに奥へ行くと礼拝所がある。
その立て札にはこう書いてある。

「天乃石立神社の祭神は、天照大御神、
豊盤門戸命、櫛盤門戸命、天盤戸別命と
なっているが、神体は扉の形をした巨岩で、
前伏盤、前立盤、後立盤の三つに割れている。

前立盤は高さ6m、幅7.3m、厚さ1.2mあって、
全体が扉の形をしている。

伝説によると、神代の昔、高天原で手力男之命が
天岩戸を引き開けたとき、力余ってその扉石が、
虚空を飛来し、この地に落ちたのだという。

正保二年(1645)但馬守宗矩は、
参道を修理して並木を植えているし、
宝永二年(1705)柳生宗弘(のち藩主俊方)は、
能舞台を建て石燈籠を寄進し、
寛保二年(1742)藩主俊平も、石燈籠を寄進している」


たぢからお かみのちからのすさまじさ
いままのあたりにするぞうれしき


ここで意義を正し、天津祝詞を奏し、
心をこめて和良久を奉納させていただく。

さて、さらに奥のほうへ進むと
「一刀石」と言われる巨岩があった。

真っ二つに切れたように、綺麗に割れている巨岩である。

その昔、柳生宗厳が修行のため
山にわけいったところ天狗が現れて
勝負となった。

宗厳は思い切りよく刀を振り下ろす。

しかし、天狗を切ったと思い見れば、
あにはからむや、それは大きな岩だった
・・・そんな伝説が残る。

宗厳はこの天石立神社で心魂をこめて修行を積み、
ついに柳生新陰流を創始した。


いっとうの いわのきれめにいきあわせ
いにしえしのび はちりきなさむ


柳生宗厳が無刀取りの神技を編み出し、
その技をもって五男の宗矩(むねのり)が
将軍家の指南役に抜擢された。

そして、宗矩は戦乱の世を治めんとして、
殺人刀を活人剱として昇華させる理念と
技を確立した。

殺人のための技を、人と世を治める技として、
時の最高権力者に教授した
稀有なる武道家が存在したことは、

われら武道を行ずるものにとって
これほどの励みはない。


たかがぶと ひとはいえどもこれほどに
いのちがもゆる みちもあるまい


人を殺す「刀」を、人を活かす「剱」の力に
変えることが出来たのは、いや、そのように
仕向けたのは素盞鳴尊の計らいにより
手力男の発動があったのはいうまでもない。

この度の、石上神社から柳生の里を訪ねて
強く思った。

そして、ばらばらであった剱の霊統が
少しずつつながっていく。

いま本当のことを残さねば
時代に消されてしまう・・・と、私は真剣に思う。


素盞鳴尊・手力男命

大和武尊・神武天皇

源義経・ジンギスカン

明智光秀・織田信長

徳川家康・柳生宗矩

佐々木小次郎・宮本武蔵

・・・・これら時代のヒーローたちに
共通のものは「武」である。

混乱紛糾する世をおさめむとて、
彼らは刀を剱に変える努力を惜しまなかった。

命がけで駆け抜けたその人生は短い一生を
永遠のものに変えることに成功した。

彼らの吐息が私にははっきり感じる。
彼らは永遠に変わらないものを手に入れたのだ。

天理教がこの剱の里で発生したのも決して
偶然ではあるまい。

それほど霊剱の存在は大きく強い。
前にも書いたが、天皇の継承も剱をもって
なすという。

大本では、綾部を鶴で象徴して、これを霊とし、
亀岡を亀で象徴して、これを体としている。
そして、鶴亀と書いて「ツルギ」と読む。

ツルギとは霊体一致という意味である。

日本列島は、竜神の姿であり、
これ宝剱であると言われる。

オロチの中からツルギが現れた謎も
納得出来るような気がする。

竜と剱。
これがどんな関係なのか、和良久になるまで
私も理解できなかった。

稽古を通して初めて知った。

ツルギの動きは螺旋運動であり、
これ竜の活動を示す。

竜は、竜宮の乙姫様の化身と顕現し、
剱は、素盞鳴尊そのものである。

内には竜の柔らかさを、
外には剱の固さを秘める。

剱とは「心は穏やかに、身体は壮健」
にという例えでもある。

また、内に静けさを秘める日本人の気質も
剱の魂がなせる業かも知れない。

いま、竜宮の乙姫様が世界を駆け巡り、
まことにその活動の著しいことを感じる。


りゅうぐうの おとひめさまのてによりし
このみちひろがるときぞきにける

つるぎとは れいとたいとがそろいたる
おもてうらなきまことのすがた
続く・・・