特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座546


再起動


コンピューターで「再起動」という機能がある。

一度電源を切って再び自動的に電源が入る
というものだ。

再起動の意味の詳しくは知らないが、
私はインストールされた情報の整理をしたり、
トラブルをうまい具合に調整したりする際に
この機能を使うものと思っている。

少々具合がよくない時にこれを行うと、
再び電源が入ったときには、
不思議となんとか立ち直っている。

私のような機械音痴は、パソコンの調子が悪いと
(正確には、悪いではなくて、
扱いがわからなくなってと言ったほうが確か)
繁茂に電源を入れなおしたり、再起動を行う。

思うに、人のもつ精神的機能も
再起動の繰り返しによって
バランスを保っているような気がする。

人の再起動とは?

その一つの行為が「瞑目」と言う行為である。

この眼を閉じる行為には、
眼の疲れを緩和させたり体を休める
といった作用だけでなく、
脳に入った情報を整理するという
非常に重要な作用がある。

視覚、聴覚、触覚、臭覚、味覚などの
五感を通して人は毎日おびただしい数の情報を取り入れ、
整理して、そしてそこから
最良の行動パターンを選択して生きている。

どんな人でも人は生きるために、
知らず知らずにベストを尽くしているのだ。

もし、この情報整理を誤ったなら
心と体は一度に崩壊する。

そして、この眼を閉じる〜瞑目するということが
情報整理の重要な機能なのである。

眼を閉じる・・・言い換えれば落ち着く、
またはもっと専門的に言うなら
鎮魂するということである。

人が、この眼を閉じることを制限されたなら、
情報整理がつかなくて、パニックに陥り、
人はたちまちに発狂してしまうだろう。

しかし、瞑目を上手に使えば、
思いもよらぬアイデアと力が湧いてきて
成功へと導かれる。

さて、自然に行っている瞑目には
次の三つの種類がある。

まず、「瞬き」である。
瞬間に眼をぱちぱちと閉じたり開いたりすることだが、

これは、例えば本を読んでいて
次のページをめくるようなものだ。

1ページから2ページへ・・・と言う感じで、
その時、その時に入ってきた情報を
大雑把に区分けする。

眼を閉じることによって
脳に記憶をとどめることが出来、
次の行動を選択できるのである。

次は「睡眠」である。

これは読書で言えば、読んでいる途中の一冊の本を
一端閉じるようなものである。

その日一日に入ってきた大量の情報を、
きちんと整理する時間なのだ。

この眠るという行為によって、
睡眠をとっている間に、
深層意識が人類共有のネットワークにアクセスし、
重要なプログラムをインストールするのである。

そして、最後に「死」である。

これは、一冊の本を読み終えて、
あるいは日記を書き終えて、
その本を本棚に納めるようなものである。

その人が一生のうちに得た貴重な情報を
「全精神」をもって整理する時なのである。

そして、やがてその全精神が集合する世界へ行き、
神により次の支持を仰ぐこととなる。

「生まれ変わりなさい」とか、
「このまま(精神のまま)この世界にいなさい」
とかいう全能者の支持がある。

つまり、もう一度生まれ変わって、
やり遂げられなかった任務を続行するか、

または、そのまま精神世界に残って
任務を続行するかの裁断を仰ぐのである。

このように瞑目〜眼を閉じるということは、
瞬時の瞬きにしろ、眠りにしろ、また死にしろ
たんに「再起動」に他ならない。

われわれに消滅ということはない。

肉体は朽ちて果てるとも霊魂は永遠であり、
衣服を着替えるように、肉体を変えて変えて
この世に登場するのである。

俗に永遠と言われる死も、
瞬間の瞬きも時間の差こそあれ
同じものなのである。

瞬間と永遠が同時に存在する・・・
という感覚を肌で感じたなら神がわかる。


再起動は、いわば脱皮であり、
次へのステージを踏むための区切りである。
これを覚醒というのも同じである。

魂の覚醒が行われるとき、
以前の自分は消えて新しい自分が出現する。

生きながらに生まれ変わりを果たすのである、

これ、まさしく再起動である。

その時、全能の主から下された
本当の使命が明らかに理解でき、
喜び勇んでその使命を果たす任につくことができる。

もう何があっても揺るぐことのない
不屈の精神をもって今を生きることができるのだ。

稽古は、自己をそのラインに
もっていくための学びである。


続く・・