特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座68

稽古の段階

初めて武道の稽古に入りますと、
まず体を慣らして柔らかくし次に基本的な動きを学びます。

これは初心者も、上級者も変わらない普遍の動きです。

これを繰り返し、繰り返し一心に体に染み込ませます。

技の稽古に至っては、出来るだけ多くの人と手合わせをいたします。
・・・これが大事です。

一子相伝という言葉がありますが、
武道の世界においては、他の能楽や茶道などの伝統芸能とは異質で、
ほとんどが子から子へというのはありえません。

なぜならその特異な素質と言うのもは、
決して吾が子には流れるとは限らず、
いずこかの神に選まれし者が現れて、
その者に受け継がすことがほとんどです。

武道には、そんな仕組まれた神秘な出会いが存在します。

出来る限り多くの人との稽古を積み、
あらゆる人の癖や、体つき、性格のすべてを飲み込んだ上で、
つまりたくさんの応用体験を積んだ素養があり、また努力した者が、
唯一師からその心技を継承できます。

それが本当の一子相伝ということです。

その膨大な体験なく、ただ一人道場に篭ったり、山に入ったりして、
型だけを繰り返ししていることは人格的に危険です。

自己満足に陥り、所謂「天狗」の系統となるのです。

天狗は山の「もののけ」です。
巷に下りて活躍する力を有していません。

また妙術を用い、人を誑かします。化身もしましょう。

こういった闇の術に入ってはなりません。

人は光の中で、明るく体を動かし、会話を楽しむべきです。

また人の修行と言うものは、決して人里離れた場所で行うものではなく、
人と人の中でもまれてこそ、真の向上があるのです。

人を避け、ひたすら難行に挑む方たちに世を救うことを得た人は
過去にいたでしょうか?

すべて自己の向上のみに没頭し、
自己の霊界のみに漂っているばかりです。

ことに武道は人あって向上出来る稽古です。

自己を磨き、その力をもって他を利する度量がなければなりません。

私も時に山に入ることもありました。過去の武道家たちもそうです。

しかし、それは自然に対して神に接し、
技と心の「整理」をするためであり、その他のなにものでもありません。

繰り返しますが、基礎的にも、
応用的にもその体験の希薄な人が山に入っても、
せいぜい低級な山神や獣の霊が不必要な加勢をしてくれるに過ぎません。

容貌が異様に変わるというのはその実証です。

自力をしっかり培い、その力強い自力をもって大いなる「他力」を
呼び込むのでなければなりません。

正神の所作は清廉潔白です。
己を包み隠し人を誑かすことは魔界の技です。

稽古するものは謹んで、心身を潔斎し
魔に引き込まれないよう気をつけた上にも、気をつけねばなりません。

稽古により自力を高め、偉大なる他力を得ることを忘れてはなりません。


続く・・・・