遠当
離れて息を打つ、その息を相手が受けて倍化させて打ち返してくる・・・・これが和良久の稽古の特長である。
離れているものを、触れる事無く気合ひとつで倒す・・・・
これは武道を志す者のひとつの夢ではある。
過去、この「遠当(とおあて)」と言われる技を会得するため
難行苦行をこなし、その域に達した武人は多数いた。
しかし、そのどれもが、邪神や動物霊の助けを借りて
行ったものばかりである。
それら低級の霊の助けを借りず、自力でもって感性を磨き息を具現化して、その息のキャッチボールを行うことが和良久には出来る。
螺旋の特性を活かしきることが出来、
またその渦と一体化したとき人は息というものが実体化して眼に
映るようになる。
そうなれば稽古は第三段階に入り、
相手と触れることなく稽古を進めることが可能となる。
相手と触れていないが、触れる以上に肌に実感が伝わり、
打った息の「玉」が、まるでバスケットボールのように飛び交う。
それは時間、空間を超越して、どんな遠くへでも、
またどんな対象物へでも伝わっていく。
わが道場は、せまい家屋を突き抜け、宇宙空間がわが道場と化す。
惑星を相手に八力をなし、飛び交う彗星から身をかわし、
太陽の放射に強さを、月の潤いに柔らかさを学ぶ。
遠当ての術は、人をあやめ、
鳥やハエを落として喜ぶために行うものではなく、
迫る地球規模の危機に際し、
全大宇宙的な技として修得すべきものである。
武道家は、もはや刀を捨てて地を這うことなく、
天空を見つめて宇宙間の闘争を排除すべく、その技を磨くべきである。
「吾は宇宙の平和を守る」
鍛錬において、そのくらいの傲慢心をもってやるべきである。