無形の剱を持つ
剱を離せば、剱が無くなるのではなく、そこに残るものは無形の剱です。
そのための稽古です。
信仰の進歩具合も、顕斎から幽斎への移行です。
形あるものに頼ることから入り、やがて形への執着を離れ、
形の無い存在に心を融合させます。
見えないものを「有る」と確信し、
それを現実の生活に実際に活かすことが大事です。
呼吸の実在の確信です。
武道は、潜在する力を潜在したままに置かず、
顕在的に表すことを旨とします。
潜在から顕在への変換機が「ツルギ」なのです。
しかし稽古も時を経て、妙を得てくると、ツルギは吾が身と同一化し、
いつも手にあるように感ぜられます。
剱は、時所位に応じて変化します。
時に小さく、時に大きく、それは宇宙大にまで拡大し、
また塵よりも小さく縮小します。
まるで孫悟空の如意棒のようです。
剱は、どこまでも高く舞い上がり、どこまでも遠くを打てます。
その螺旋は、天空の銀河をかき回し、
また吾が体内の小さき細胞を揺れ動かします。
神への弛まない祈りと剱の稽古により、物(体)への執着を離れ、無形(霊)の存在に対し畏敬の念が深まり、そしてその思いが主になってまいります。
いわゆる霊主体従の感覚に至ります。
続く・・・・