「足の運び方」
足は、腰が内回り運動〜時計周り(凝解分合)をすると
「右足」が前に出ます。
左足が前に行くことは人体の構造上不可能です。
逆に、外回り運動〜時計と逆周り(動静引弛)をすると
「左足」が前に出ます。
これもまた右足が前にいくことは腰が許しません。
足をどのようにして出せばいいのか・・・は
「腰に聞け」と言う事になります。
足を踏ん張って、腰が動くのではなく、
腰を踏ん張って、足が動くのです。
腰は体の中心であり、人体の要(かなめ)です。
「月の要」・・・月の大神様は瑞之御霊(みずのみたま)こと、
スサノオノミコトの神様であり、この神こそ三千世界の要の
御用をなさっています。
「瑞の御霊の月の神は、この世を生かし清めんと
言霊ツルギ振りかざし、醜(し)この曲霊(まがひ)をことごとく
言向けやわし地の上に、奇しき楽しき神の国を
立ててすべてに生魂の・・・」
と、出口王仁三郎聖師は歌っておられます。
スサノオノミコトはツルギの神であり、
ツルギは言霊の水火によって動き
そしてそれは「八力」を生み出します。
腰が可動して全身が動きます。
腰が八力を失ったら人は「死」を迎えます。
そして同時に四魂は体を離れ、霊の故郷(霊界)に
帰っていきます。
肉体は霊を現界に留めるための入れ物です。
霊魂が肉体にある間にしっかりと、
この現界でなすべき鍛錬をつまなくてはなりません。
動きに関しては、八力が宇宙の動力的基本であり、
精神に関しては、四魂が宇宙の精神的基本です。
さて「腰」は人体のモーターエンジンです。
足はそのモーターの車軸につくタイヤのようなものです。
このモーターの出力をあげることにより、それに相応しい
肉体が形成されてきます。
筋力トレーニングなどで体を造り上げて、肉体を鍛える行為は
腰の存在をなきものとし、
それは日本独自の思想である「腹の文化〜丹田」を崩壊させ、
「腰抜け」を育成させる外国の悪だくみであります。
※ここでいう外国とは日本、つまり霊主体従(ひのもと)の国に
対する「外の国」の言いであり、それは「体主霊従国」とも書いて
がいこくと呼んでいます。
まず「内」を鍛えてから、それに相応しい「外」が出来るのです。
それも霊主体従の原則のひとつです。
続く・・・