「向上への道」(4)
3)武道の起源とその使命
武道の起源はアマノヌホコから来る。
それは国造り、人造りの創造の技であり、
聖師様は日本は武の国であると言われている。
「弱肉強食、われよし」などの利己心発生から武道は破壊の技へ
と転ずる。
今の既成武道は勝敗を決する「弱肉強食、われよし」の心を
煽るものであり、これは和合精神を旨とする日本のものではない。
原因のひとつとして外国からスポーツが入ってきたことが
腰と腹の文化を消し、一層武道を競技化に走らせ、
強い者勝ちの風潮をわが国につくったものと考える。
スポーツの身体操作は「外から内」つまり筋力尊重主義であり、
武
道本来の身体操作は「内から外」つまり腰を中心として
その力を筋力に及ぼさせる動きによる。
腰を練ると腹が出来、腹が出来ると「丹田〜三田」が開発される。
丹田が開発されると神の存在が身近になる。
またスポーツの歴史は戦争から起こったものであり、破壊の歴史である。
そういった意味でスポーツが勝敗にこだわるのも無理がないと言える。
わが国の武道の起源は創造の歴史であり、戦わないのが武道である。
人生は戦いと言うが、人間のレベルに以下の三つある。
1、戦って勝つレベル
2、戦わないで勝つレベル
3、戦うも戦わないもなく、そのようなものに縁の無いレベル
…我々はこの3番目のレベルを確保せねばならない。
戦いは、戦いを呼び、それは際限も無く続く。
私たちの身近なものにも毎日戦いは繰り広げられており、
人々はそれに熱狂する。
スポーツをはじめ、ゲーム、試験、ビジネスなど利己心によって人を
蹴落とす様が毎日繰り広げられている。
大いなる和合の心こそ「やまとだましい」であり、
人と人、国
と国とを和やかに結ばせることが私たち日本人の使命である。
この地上から戦争を終焉させ、
人類同士が手を携える和合の 心を育む稽古をしなければならない。
それには途中のものでは
なく「元の昔」にあったものを学ばねばならない。
神と人とが結ばれ(鎮魂帰神)、互いの水火を合わせる実際的な
和合の技(言霊)こそ、本当の「日の本(霊主体従)の国」
の武道の姿である。
続く・・・