「神の実在の確信」
私たち和良久が稽古をしているその理念の基は
以下の4点の図表である。
■ 水火の御伝(いきのぎょでん)
■ 水茎文字(みずくきもじ)
■ ますみの鏡
■ 火凝霊(かごたま)
和良久はこれらの図表に則って、
厳然たる規則制をもって稽古を進めている。
いずれも、その図の所在および時代背景は異なり、
不可思議なる記号の配列であるが、
しかしよく見ると4点とも共通する点が多々あることに気づく。
そこに宇宙創造の歴史が秘められ、
万物生成の法則が示されている。
これらを眺めていると言霊の神秘が紐解かれ、
「神はいる!」
本当にそう思え、感動に震える。
そして「これはもしかしたらとんでもないことに着手したのでは」
と言う戦慄が走る。
どこがどのように・・・?
説明を求められても、今の私には
それを言葉に変換できる能力がないのがこの上なく悔しい。
これは言葉に尽くしえない存在なのである。
ただ生涯かけての鍛錬に値するものを手にした・・・
そんな誇るような心持である。
嬉しいとも、悲しいとも、そのどちらでもなく、ただ戦慄である。
神は見えない。
見えないから神、つまり「隠れ身」と言われている。
しかしこれらの図表から私は神の実在を確信する。
混沌とした中から一点の「・(ホチ)」が現れ、
それを中心に渦巻く宇宙が創造されていく過程を観ることが出来る。
「言葉は神なり」
その意味が理解できる。
神は言霊にその自身の存在を秘め置かれた。
神を知る手立ては言霊にある。
その言霊を知る手立ては、もちろん机上の水練ではだめ。
おのれの体を用いて、全身全霊をもって取り組むのである。
他国で「五体投地」という礼拝形式がある。
全身を大地に投げつけるようにひれ伏して祈る礼拝である。
言霊の水火のはたらきを具現化した稽古である和良久は、
この五体投地に似ている。
これは明らかに神を身近に感じることの出来る稽古である。
続く・・・