特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座21

「ツルギの元〜天の沼矛」

私は稽古中、古事記の文中の表現を
よく使わせていただきます。

そしてある時「しお こおろ こおろにかきなして・・・」
という意味は?・・・というご質問を受けました。

今回は、それにご返事させていただいたものと
同文に少し加筆して転載させていただきます。

「シオコオロコオロカキナシテ ……」の部分
は、古事記(上巻)のところにある、
はじめの一節です。(以下、引用)


『 天津神の諸々の命以て、いざなぎの命
いざなみの命に、二柱の神の修理して

このただよえる国を成すによりて
天の沼矛をたまうと詔して言依さしたまいき。

彼、二柱の神、天の浮橋に立たして、
その沼矛を指し下ろしてかくさまは、

しお こおろ こおろにかきなして、
引き上ぐる時、その矛さきより垂り落つる

しおのかさなり積りて成る島は
おのころ島・・・・』


この沼矛こそが「ツルギ」の始まりであり
武道の原点であると存じます。

つまり武道は、元来、破壊殺傷のために
生まれたものではなく、国生み、人生みの
ための創造の技だったと察せられます。

和良久の使命は、この思想と技を復活し
日本魂(やまとだましい)を覚醒させ、

元の神代に立て替え、立て直す意識と
行動力をもった者を育成することが
目的であります。

武道の「武」は、たんに倒し、倒される戦術、戦法
という狭義の意味などではなく、人間の行動原理、

それは即宇宙の行動原理であり
その原理を探求し、実践するという具体的
方法を示していると考えています。

体的なもの、物体的なもの、動きのあるもの・・・
それらすべてを総称したものが、「武」の本来の
意味ではないかと存じます。

聖い精霊の入れ物となる器づくりこそ
武道の鍛錬だと存じます。

武に対する考えが根本から変われば
世の中少しは良くはならないかと期待しています。

これにより「うしとらのこんじん」が真に復活し
世界は「みろくの世」に向けて神業を開始する
ものと確信してやみません。

ちなみに「シオコオロコオロカキナシテ ……」
の動きは呼吸力を伴った万物の発動力「八力」
であり、これに一霊四魂が加わり、体(物)の完成
となります。

八力は「ス・ウの力〜一霊(省)」の主、
大国常立大神の御働きであり、
そこには呼吸は同時に存在しています。

そしてこれは大国常立大神が統括する
「八大竜王」の働きであり、そのそれぞれ
の力の名称には神の名があります。


力の名   神名      音声    霊魂

凝力 須比地根の神  アの吸う息 幸魂(引く愛) 
解力 宇比地根の神  アの吐く息 幸魂(出る愛) 

分力 惶根の神     オの吸う息 和魂(引く親)
合力 面足の神     オの吐く息 和魂(出る親)

動力 大戸乃地の神  エの吸う息 荒魂(引く勇)
静力 大戸乃辺の神  エの吐く息 荒魂(出る勇)

引力 活杭の神     イの吸う息 奇魂(引く智)
弛力 角杭の神     イの吐く息 奇魂(出る智)

続く・・・