ヤマトタケル
油断大敵という言葉があります。
気のゆるみ、おごり、過信ほど
身を過つものはありません。
無敵の勇者であり、全き武技を修めた者にとって、
何が大敵だといって自分の中に潜む油断ほど
大敵はないでしょう。
真の敵は外にあるにあらず
内なる気のゆるみであるのです。
光秀の「敵は本能寺にあり」という言葉は
考えてみますと、吾が内の邪心に対する
討伐を言っているのではないかとも思えます。
かの「ヤマトタケルノミコト」でさへ
国を平定し、麗しき姫神を娶り安堵された頃になると、
気のゆるみが出てきます。
伊吹の山の神を討ち取りに行く際
「この山の神は剱を使うまでもない
素手で討ち取ろう」
とて、何と常日頃手放したことのない
「クサナギノツルギ」を家に置いて出かけます。
そして討伐の途中に会った大きな白猪を
「これは伊吹山の神ではない。
きっと使いの者であろう。
いま退治するまでもない。ほっておこう」
と、よく審神(さにわ)もせず甘く見過ごしてしまいました。
しかし、その白猪は実はまことの山神であったのです。
山神は氷雨を降らせヤマトタケルノミコトを
散々に打ち悩ましました。
結局それが原因でミコトは身体とみに衰え
歩めぬまでに衰弱してしまいます。
病に伏せたミコトは、それまで意識しなかった
この国の素晴らしさにあらためて気づきます。
『 大和は 国のまほろば たたなずく
青垣 山隠(ごも)れる 大和し 美わし 』
(日本は、国土そのものが活気凛々とした
神霊が湧き立つ霊的磁場である。
青々とした緑したたる山々に囲まれた
日本は実に美しい)
また益々病が悪化し、故郷を偲ぶ念が強くなります。
『 愛(は)しけやし 吾家(わぎへ)の方よ
雲居(くもい)立ち来も 』
(愛しや、懐かしや・・・吾が家の方に
雲が湧き立っているではないか)
そしてミコトは、次の歌を最後にその波乱の生涯を閉じます。
『 おとめの 床の辺に わが置きし
つるぎの太刀 その太刀はや 』
(女房(美夜受比売)の床の辺に私が置いた
剱の太刀・・・ああ、その太刀は)
最後の最後になっても思いを寄せたのは
家族や女房のことではなく「剱」のことでした。
まことにツルギの神らしい最後です。
そして、その魂は白鳥になって大空に飛翔します。
日本武道は、宇宙創造神である
大国常立大神が、いざなぎ、いざなみの命に
天の沼矛(ツルギ)をふるわせて国土を形成
させたのが始まりです。
その力はスサノオノミコトから
ヤマトタケルノミコトに受け継がれ
時空を越えて、いま我々の手に渡りました。
ヤマトタケルノミコトとは、「日本武道」という意味です。
(ヤマトー日本、タケルー武、ミコトー道)
私たちもこの神々の意を汲み、
うるわしい世界をつくり上げるために、
この手に与えられし神剱を、心して振るいたく存じます。
和良久とは、一言で言えば「恒久の平和」
という意味であります。
恒久の平和実現のため、
精一杯力を尽くし力尽きて果てたその後は、
ヤマトタケルノミコトの如く大きな白鳥となって、
空高く舞い上がりたいものです。