特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座216


「和良久って何だ?」 (13)


和良久は、奥山先生の武道の名を変えただけのものなのですか?

・・・そう問われました。

和良久は、確かに奥山先生のまとめられた理念を
元に構成されたものです。

奥山先生は、その半生をツルギ復活に捧げられました。

しかし、その理念はこの上なく難解であり、
またいまの和良久のように、基本になる型もなく、
もちろん、はっきりとした八力の動きなどはありませんでした。

ですので、多くの稽古人さんたちが訪れましたが、
誰一人それを理解し、稽古を続けたものはいませんでした。

私自身も、奥山先生の稽古を受けていた頃、随分悩みました。

約15年間、この稽古が一体何のために、何に向かって、
何をしようとしているのか、幼稚な私には、
まったく理解出来ませんでした。

それまで空手の全日本選手であり、
師範でもあった私の頑強な体が痩せ衰えて、
30キロも減ってしまいました。

難解、かつとらえどころの無い
不明確な稽古からくる極度のストレスからでした。

やがて胃を壊し、日に日にやせ衰え、
真剣に「死」の言葉が頭をよぎったことも再三でした。

そんな時期でした。
空手時代の仲間が「戻ってこい」と声をかけて来たのです。

このままいても体も心もだめになると思った私は、
藁にもすがる思いで古巣の空手の世界に舞い戻りました。

自分にとって意味不明の稽古に対する
師への反発心もあったと思います。

久々の空手の世界に戻った私は、
やせ細って病弱な肉体になってしまったこの体を
鍛え直さなくてはと思い、一所懸命体力づくりに励みました。

そして数ヵ月後、みるみる体が元の丈夫な体になりました。
そこで、技のことについて考える余裕がようやく出てきました。

よくよく自分の動きや反応をみると、
以前のそれとは随分違っていることに気がつきました。

僅かな動きにも関わらず、突きにしても、蹴りにしても
以前に増して強力になっているのです。

何と動きの根底に螺旋が加わっているのです。

円運動は以前から行っていましたが、
その平面的円運動はさらに加速し、立体的になり、
そして根元に食い込む力である螺旋が、
いつの間にか身についていたのです。

いままで格闘の世界で培ったものと、
最古の武道理念が私の中で融合し始めました。

そして新たな道の展開を頭ではなく、
体で実感することが出来たのです。
思えば和良久の道の前兆でした。

そんな頃、奥山先生も大本を退職され、
大本の武道を稽古するものも誰もいなくなりました。
とうとう一人ぼっちになってしまったのです。

何のためにここへ来たのか、
全てをすててやってきた自分自身が哀れに思うと同時に、
憤りがこみ上げてきました。
しかし、もう後には引き下がれません。

もう一度奥山先生の理念を洗い直し、稽古を整理しました。
それは必死でした。本当に一所懸命やりました。

まず、この難解な理念を解読すること。

具体的な方向性をもたせ、それに肉付けして
形にしてゆく工程を行いました。

毎日、毎日鳳雛舘に篭って練り続けました。

相談する相手も無く随分悩み苦しみました。
神様に一心に祈りながら動き続けました。
やるべき稽古をやり尽くしました。

そして「もう、ここ(大本)を離れよう」と決意した
・・・そんな矢先でした。

大本四代教主様から声がかかりました。
側に仕えるようにとのこと。

そして私の中に奇跡が起こりました。

いままで分からなかった技が分かり、
見えなかったものが見えるようになったのです。

いままで苦しんできたものが、一気に氷解したのです。
それは素晴らしい未来を予感させるものでした。

武道が果たす本来の役割と、わが国の鍛錬のあり方が、
一つ一つ明確に現われてきたのです。

もちろん、その時点で30年以上もの長きにわたって
続けた空手からも完全に足を洗いました。

殺伐とした格闘技には使えない、
薫り高い何かを実感したからでした。

やがて四代教主様に「和良久」の名を頂戴しました。


奥山先生は、素晴らしい基礎を残してくださいました。
そこに命を吹き込んでくださったのが、四代教主様でした。

今後も、神様の教えに一歩も外れる事無く、
そのご神業に参加して、みろくの御世を来たらせるに必要な鍛錬となり、
同時にみろくの世になっても必要な稽古事として
残る値するものとなるよう努めたいと存じます。


続く・・・