特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座389


「偏りのない、バランスのとれた稽古を(2)」


現実を逃避して心地よい癒しの場を求め、
自分に優しい人の言葉にだけ甘え、
自分の体に心地よい行為のみ受け入れる・・・

これではいつまでたっても向上は無く、
ふんわりとした空間に身をゆだねている
「時を止めた」行為です。

時は止めてはなりません。
少しでも、たとえ一歩でも、半歩でも
今よりも向上していなければ
人生がもったいないと思います。

こういった「ヨコの波」にだけに漂っていたのでは
現状は打破出来ません。

いつまでもヨコ波に漂っていたい・・・
気持ちは分かりますがそれでは一体何のために
この世に生まれてきたのか分かりません。

向上心の無い人種の増えること、
これは悪魔は大喜びです。

また、人同士の戦いも悪魔の最も喜び、
かつ彼らにエネルギーを与える行為です。

悪魔を徹底的に殲滅させるためには、
決して人とは争わないことです。

そして、神を讃美し、隣人を愛し、隣人を力づけ、
隣人と和すること、これが悪魔の忌み嫌うことであり、
悪魔との戦いの術なのです。

このように、和良久の言う「戦わない」とは、
「悪魔と戦う」という意味なのです。

自己の能力向上のみに浸る余り、
自己陶酔した一人よがりの稽古は
「癒し系」と呼ばれるものに多く見られます。

自己を向上させることはもちろん大切です。

しかし、同時に稽古の中で、その場に集う者どうしが
お互いの向上のため体を張って鍛えあい、
魂を練りあうことが大切ではないかと思います。

人を愛し、鼓舞し、勇気付け、その人が自分で
限界としている壁を突破出来るよう手助けする
呼び水のようなパートナーでありたいと思います。

自分が向上するためには、人も向上してもらわねばなりません。
逆に言えば、人の向上が自分の向上につながるということです。

稽古の中でメリハリをつけ、お互いの緩んだ気を締めあい、
絞めすぎた気を緩めあい、お互いに不足するものを
補い合うことが大切です。

いつも褒めあい、慰めあうばかりでは稽古になりません。

時に叱りつけ、ショックを与えることも
相手にとって向上につながることならば敢えて行う
・・・これも稽古であり、思いやりだと思います。

大本の二代教主はこう歌っておられました。

「気は強く、広く、大きく細やかに
温かみのある人になりたき」

これは前にも記しましたが、もう一度私なりに
言霊で解釈させていただたまして、長文を締めたいと思います。

気(水火、呼吸、息)は強く(上下)、広く(左右)、
大きく(膨張)、細やか(収縮)に、
温かみ(光、熱)ある人(霊止)になりたき


続く・・・