特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座42

言霊剱と和良久 〜奥山師から四代様へ(1)

師、奥山忠男はその半生を「剱」の復活に捧げました。

その生来の、近寄りがたく頑固な気性から、家族を省みず
黙々として理念と木剱の創作に携わっていました。

私が最初に師にあった時は、「また、どこの馬の骨とも知れん
奴がきたな・・・」と、ぐらいにしか思われず、しばらく相手にも
されませんでした。

当時、訳の分からない人たちが沢山出入りしていたのでしょう。
師も、もううんざりされていたのかも知れません。

しかし話して行くうちにお互いの共通性が幾つか見出され
師の態度が突然変わり、身を乗り出して私に目をむけてくださいました。

それから長い長い稽古の日々が続きました。

師は偏屈といいますか、まったく人を誉めない方でした。

ちょっと動くたびに「違う」、また「違う」の繰り返しで、
すべて私の動きと呼吸の仕方まで否定されました。

それはまるで金縛りにあった状態でした。
すべての動作を否定された私は少しも動けませんでした。

一体何処が違うのかサッパリわからないまま年月が過ぎました。

皆さんは、きっと体を酷使した激しい稽古の様子を想像される
でしょうが、それは違います。

僅かな呼吸の働きにまで「違う」と叱られます。

空手時代に極限まで肉体を酷使してきた経験をもつ私にとっては、
極端な「動から静」の世界への没入でした。

まるで地球から宇宙に飛び出したかのような異次元の世界でした。

この師の稽古にはいって、いままでとまったく違った稽古と環境の
あり方に心も体もかなりの違和感を覚え、体重は30キロも減りました。

何年経っても相変わらず「違う」としか言わない師。

そうかと思えば稽古を始めて間もない人でも、明らかに技術的に
間違っているにもかかわらず「そう、それでいいんだ」と言っているのです。

「えっ?なんであの人が??」
本当に理解の出来ない世界でした。

ところが、そんな未熟な私でも年月が経てば何とかなるもので、
ある日突然「よし!!」と言い出したのです。

「???」どこが悪くてどこが良いのか当時の私にはまったく
理解できませんでした。


続く・・・