特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座421


「道場という空間」


道場は、体育館と違う、
またもちろんセミナー会場でもない。

例えば能楽をする者にとっては舞台が道場であり、
お茶をする者にとっては茶室が道場である。

一歩、その場に入れば震えるほどに気が引き締まる。

邪念を祓い去り、己がなすべき所作に集中する。

道は神であり、時であり、場は空間であり大地である。

粗相は許されない、なぜなら、そこは
求める者が心技体のすべてを神に捧げ、
向上させる神聖な空間となるからである。

それは斎場といっても良い。

そこには、張り詰めた独特な気が漲り、
神と人とが感応し一体となって、
通常の力を越えることが可能になる場でもある。

例えば、神社の境内に入るのと同じであり、
入る際には御手洗で口と手をすすいで身を清め、
鳥居という結界をくぐる。

そして、神前に近づき、祈る。
祈りが終わり、鳥居をくぐるまで、気持ちは清清しい。

武道の稽古をなす道場は、強く神の力を求めるゆえに、
非常に異次元のものを感じやい状態になっている。

武道とは、鎮魂帰神をなす術であり、
その鎮魂帰神をなす場が道場である。

これを思うと、道場においては、
一歩入ってからその気になったのでは遅く、
入る前から「これから神様と一体となる」という
心の準備をもって、道場に入るべきである。

先生は斎主であり、稽古生は祭員であり、
見学者は参拝者である。

例え稽古場が、都合上、
洋式のホールや普通の部屋であっても、
稽古をする者の意識と、稽古する者の技をもって
その場の空気を入れ替えることが出来る。

バランスのとれた正しき稽古によって、
俗なる者が聖なる者に変われる。

その場に正しき気を充満させるか、
邪念の溜まり場とするのかは、
稽古をする者の心次第である。

願わくば、その場に宇宙の縮図を現出せしめ、
そこから全大宇宙にこだまする言霊とともに、
壮大なエネルギーのほとばしりを
起こすことができたらと思う。

そして、その力をもって戦が治まり、
この地の上に天国が招来せんことを切望する。


続く・・・・