「水の働き」
水には命を生み育む働きがあります。
水が凝って水晶となります。
まさに水は命の元なのです。
水晶は水の特性を凝縮し、
一層強い水の働きをいたします。
生き物の心や意識をインプットする力です。
そこには太古からの情報が詰まっていると
言われます。
劒は、「水水火」と書くということは
和良久の方ならすでにご承知のことと存じますが、
これは、水のもつ働きの中核をなすもの、
水の根源的な働きをなす、と言う意味です。
水晶と同じ働きをなすばかりでなく、
その形も同じ六角形です。
さて、眼に見える水の働きを見てみましょう。
水に石を投げ込むと波紋が発生します。
そして、その波紋は
内から外へ綺麗に広がっていきます。
あくまでも美しく、秩序正しく。
その波紋は、優しく投げても、強く投げても、
憎しみをもって投げても、
どんな石の投げ方をしても
同じような波紋を描きます。
つまり、水は、物を溶かし、
和める働きがあります。
この水のもつ性質のように、劒の場合も、
相手がどのような打ち方で打ってきても、
丸く丸く波紋を描くように、
力の変換を図れるよう努力することが、
人とのコミュニケーションを図る上で、
とても大切なことではないかと思います。
つまり鋭角波動を、螺旋波動に変換させる
水の働きを体現するのが
和良久ということを知って下さい。
螺旋は、その旋回の力によって、
周囲のものを取り込み、同化し、
また和ませる力をもっています。
実験です。
コップの水を、螺旋をもって掻き回すと、
その水は柔らかく、やさしい味になります。
逆に、ガサガサと直線的に掻き混ぜてみて下さい。
それは、硬い、険しい味になります。
また、水に向かって優しい言葉を投げかけてやると
その水は綺麗な結晶を形成する・・・と言うことは、
科学的にもかなり知られるようになりました。
そうすると、同じように、空気中には、
水分が満ち満ちておりますから、
虚空に螺旋を描くと、不思議や、
その周辺の空気は、先の水同様に、
柔らかで、優しいものになります。
私は、よく海外の方と稽古をする機会を得ますが、
彼らが一様に驚いたのが、
この空気の硬さについてでした。
つまり、彼らと、一連の和良久の基本稽古を終え、
中休みをとるのに彼らは水分補給やトイレのため
一端部屋を出ますが、さて、もう一度稽古のため、
部屋に戻った時、幾人もの人が驚いてこう言います。
「この部屋の空気と、外の空気が違う!」
そして、それを確かめるようにして、
何べんも部屋を入ったり、出たりして確認するのです。
ドアの外からは「おお!」と驚きの声が聞こえてきます。
また、人体も、その肉体の大半が水分です。
螺旋の力によって、その影響を強く受けることは
言うまでもありません。
私たちには、このように
「場を和ませる力」もありますが、
同時に「場を乱す力」も与えられています。
創造の技「螺旋」か、破壊の技「鋭角」か・・・
それを選択するのはあなたです。
和良久の稽古をもって、外に向けて螺旋波動を
放射するとともに、それは同時に自分自身に向けても
螺旋波動を放射させています。
劒は、木で出来ている、その物体そのものには、
何の効力もありません。
木で出来た「物」を神棚に祭るのは、
いわゆる偶像崇拝です。
動かない水水火は、単なる木切れに過ぎません。
しかし、劒を手に取り、螺旋を描いて
呼吸と丹田を働かせ、五体を躍動させた時、
それは「水水火」としての神格を宿らせます。
そこには「一霊、四魂、三元、八力」の
まったき働きをなす神器として、
金色の光を放ち、悪魔を調伏させる
気高い水水火の姿が顕現します。
そして、水水火を使う人を分別します。
以前に言いました「人が劒を選ぶのではない。
劒が人を選ぶのだ」と。
こういいました時、反論も頂戴しましたが、
この思いはやはり変わることなく
近年一層その思いを強くします。
私も水水火に見放されぬように、
今日も祈りつつ稽古を続けたいと思います。
続く・・・
※「水水火」と「劒」の使い分けについて・・・
「水水火」と記す時は、ツルギの霊的力を言い、
「劒」と記す時はツルギの体的力を指す。