「たてかえ、たてなおし」
武道の歴史は、破壊ではなく創造から始まった。
それは後で書く「アマノヌホコ」の神話による。
何事も最初の思い(理念)が大事である。
最初の思いを最後まで信じて持ち続けることを
信仰という。
創造と破壊は同時である、
破壊も創造のうちである・・・と言う人士がいる。
それは違う。
時計職人が時計を修理する時、
時計を壊すと言うだろうか?
大工が家を建て替えるとき、
家を壊すというだろうか?
壊すのではなく、それは組み直すために
一端解体するのである。
壊すとは、後のことを考えずに破壊することである。
例えば、時計の部品を折ったり、曲げたりしたら
後でそれを使って組みなおせない。
家の柱を折ってしまえば、もう後に使えない。
後に使えない、後先を構わずのやり方を破壊と言う。
職人は、ちゃんと後の段取りを考慮して解体をする。
素人は、後を考えずに、ただ無茶苦茶に
目前にあるものを叩き壊し、折り曲げ、
残骸を築いていく。
立替えとは、破壊ではなく、組みなおしの技である。
日本は職人の国である。
神の計画に誤りはない。
神が世に送り出したものに不要なものなどない。
何事も存在する理由がある。
現に存在するものを、できるだけ使って神は
組みなおし、修正をされ、計画をおすすめになる。
願わくば、神に手間を煩わせることなく、
むしろ神の手助けをする「子」としての務めを
果たすことが大事である。
それには、原点に立ち返り、つまり元の昔に
心を寄せ、己を磨かねばならない。
人は、自ら呼吸して生きている。
これを自転という。
その自転の技、つまり呼吸の技は
どこから来たのかを知ることが大切である。
生きている、とは何か。
それを頭でなく、体が知らなくて何をなせよう。
食べることより、寝ることより、
奉仕活動をすることより・・・
その何より、まず息をしていることのありがたさと
その目的を知るべきである。
宇宙の運行である、自転と公転の原則を
学ぶことにより
人生の本分が見えてくるのではないか。
自転 〜自力 中心軸 霊 火
公転 〜他力 円周 体 水
それは、古事記の記述にもある次の一節による。
続く・・・・