75剱〜言霊剱 (1)
実際、この「75剱」を解説することは、かなり難解です。
一体どこから入って、どんな説明をしていけばいいのか?
また、その解説する用語は古文書にある表現でありそれも
特殊な読み方と、それを受け取る感性が必要となってきます。
史実も定かではなく、なぜこの理念とその理念が結びつくのかも
正直言って説明不可です。
日本には元来宗教はなく、神道という「神からの道、神への道」
があるだけです。
古事記も、語り部であるヒエダノアレイが神がかりによって
残したものであり、
「霊学」「言霊学」は、これまた神道に携わる者達が
鎮魂帰神法による神がかりによってまとめた学問なのです。
正当な理念を好む現代の方たちには眉唾物とみられるかも
しれませんが、神の直接啓示によるこれら神道の理念は
宇宙の真理と合致し、私たちの生活に深く浸透しています。
この75剱を解説するにあたり、正直、私にも分からないこと
説明のつかない部分も多多あります。
これは、これをまとめた師、奥山忠男も同様でした。
なぜこうなるのか?・・・これはほとんどが今風で言えば
壮絶な体験からくる究極のインスピレーションによるものであり、
同時に深い信仰心によるイメージの世界なのです。
無理にこじつけた理念からくる実践はどこかにぎこちなさがあり、
また現実にその実践は使用不可能なものが多いものです。
この言霊剱〜75剱が、もしそのような類のものであれば
稽古するものの大半が精神と肉体に支障をきたします。
また、掛け合う技の稽古において相手と自分との動きに
不一致が生じケガが発生します。
しかし、この稽古により心身が益々壮健となり、無理のない
僅かな動きで相手を制し、そればかりか運命をも好転させる
おまけまでついてきているのです。
宇宙創造の力をわが力とするこの稽古による効能は
とても計り知ることは出来ません。
ただ、はっきり言えますことは螺旋運動による効果は
絶大なものであることです。
遠心力により悪しきことが飛ばされます。
そして求心力により良きことが入ってきます。
それぞれの中で、それぞれの変化を楽しんでいただければ幸いです。
私も「素直に」と師から言われて難解な理念を受けいれてきました。
その当時はまったく不可解でしたが、かなり後年になって
当時聞いた理念が納得出来ますことしきりです。
本当の御蔭は今には分からないものです。
忘れるくらい随分後になってから「なるほど!」と思い、
感激に打ち震えるのが真の御蔭というものです。
私にとって、武道は「信仰」と思っています。
物事はあまり人間的常識を逸するようなことでは話になりません。
しかし、逆に人間の理知で理解できるような小さなものであっても
やりがいのないものです。
そこのところを塩梅よく鑑みていただいてお読み下さい。
それではぼちぼちと、また脱線を交えながら
説明させていただきたいと思います。
続く・・・