「九鬼武産龍王」(1)
8月12日、三重県鳥羽市の北東の沖合い
約2.5Kmにある答志島に行ってきました。
島はお盆を迎える準備に慌しそうでした。
答志島はあの水軍の将、九鬼嘉隆公が
関が原の戦に敗れ、自刃し果てた島。
その首塚は見晴らしの良い高台に、
少し下がって胴塚がありました。
私は、和良久がただ時の流れのなかで、
いろいろな出会いと、修練を経て生まれた、
単に自然発生的な産物ではないかと思っていましたが、
しかし、それにしては、
自分で言うのもまことにおかしいのですが、
この技は理念も実践もあまりにも出来すぎています。
出来すぎているからこそ何か妙に思うのです。
技の一つ一つの目的と意味と効果はおろか、
足の運び方、声の発生に至るまで、
本当に緻密なことまで打ち揃っているのです。
私自身毎回の稽古の中で、
新たな感動を覚えていますし、
連日、新しい発見があります。
何より、これは確かに
異次元の何かと通じる術であることを
深く実感しています。
そうなりますと、ますますこの稽古は
決して私のような頭の悪い男の手で
出来たものではないということになります。
もちろん、この稽古にいたるには、
出会ってきた多くの師の教導があり、
何より神様の御慈悲の賜物があったればこその
産物であるのは確かです。
太古より脈々とつながる、
その流れの途上でもありましょう。
それをしっかり受け止め、より心を新たにして
稽古にかからねばと思うのです。
自分の力で無いなら、これはどうして、
ここまでまとまったのか
ということを調べる必要があります。
今回、答志島に行ったのも、
もし何かが分かればと言う思いと、また、
後で申し上げますが、九鬼からつながる
武の伝承のご縁を九鬼大隈守公に感謝したいと
思ったからでした。
また同時に、私自身のこともです。
今一度、決意を新たにしたかったのです。
「あなたのようなだらしない者でも、
そこまで変われるのか」
と言われるよう、一心に努力し鍛錬していかなければ、
人に薦めるどころではありませんから。
武道に携わるご縁、これは、その根底に、
それも見えない部分できっと
何かが関わっているのでは
という思いを最近強くしはじめました。
そして、植芝先生、井上先生、奥山先生など、
先人たちのその中核をなす思想は、
宇宙の根源神から出でたものに他ならず、
私たちはその根源神を「うしとらのこんじん」という
力強い名で崇めています。
この「うしとらのこんじん」というご神名は、
大本開祖の神諭に見られる神名ですが、
九鬼文書(くかみもんじょ)と言われるものにも
「宇志採羅根真大神」という漢字があてられ、
以下のように説明されています。
「そもそも宇志採羅根真大神と申し奉るは、
すなわち造化三神、天神七代、地神五代、
陰陽の神の総称にて、
日月星辰、三千世界、山河草木、人類禽獣を始めとし、
森羅万象の万物をして宇宙の真理より
創造大成せらるる神の御事なり」とあります。
これを言霊で解釈しますと・・・
スの言霊天より下ってウの言霊となり、
大地にしっかり根を下ろして中心の軸を形成し、
轟音をたてて螺旋運動を起こし、
その螺旋運動より発生する求心力により良い物を残し、
また遠心力によって悪しきものを吹き飛ばす、
つまり善と悪とを立て分ける役柄をもった
古今無双の実行力、活動力をもつ
真の神様のことです。
具体的には、宇志採羅根真大神とは、
以下の神々の総称であると言われています。
「天之御中主之神、高御産霊神、神御産霊神、伊弉諾神、
伊弉冉神、天照大御神、月夜見大神、建速素戔鳴大神」
ちなみに、この九鬼文書は、先に紹介いたしました
九鬼家に伝承された文書で、
古事記より以前の書といわれています。
この神様を崇め、慕って来た武の先人たちこそ
先に言った方たちであり、和良久もまた、
宇志採羅根真大神様の力が加わってこそ、
その力を表に現すことが可能です。
悪神に押し込められた神うしとらのこんじんの伝説は、
私には武蔵の謀り事で抹殺された
佐々木小次郎の伝説とオーバーラップしてなりません。
私は、和良久の今日あるのは
どのようなルーツから出たものか、
またこれから果たして
どのような道筋を経ていくのかを考えていました。
それは今後世界に和の技が広がるであろうことを思うと
今一度、腹帯を締めなおしておきたいという
衝動にかられたからでした。
続く・・・・