「鬼門大金神〜九鬼(クカミ)の因縁」
650万年前の昔、金星から隕石が飛来し、
その隕石が日本の上空で、三つに分かれて落ちた。
一つは、京都の鞍馬山に落下し、
金星より地球の霊王として天下った
地上の創造と破壊を司る「魔王尊」と崇められる。
また、一つは、和歌山の熊野に落下し
「鬼門霊石」または
「九鬼霊石(くきみたまいし)と言われる
ご神体として九鬼霊神社に祀られている。
また、一つは、播州の高御位山に落下し、
高御位神社に祀られる。
これら「鬼門霊石」は金星より飛来せし
隕石であるので「鬼門大金神」とも言われる。
さて、熊野から伊勢、そして海外にまで、
その強さを知れ渡らせた
日本最強の熊野水軍を率いた九鬼一族。
その九鬼嘉隆指揮する熊野水軍の軍艦「日本丸」には
この鬼門大金神の神像が祀られていたと言う。
鬼門大金神は、鬼門八神(かみどやはしらのおおかみ)
として割き別れ、以下の八つの神となり、
それぞれの方角に配置守護される。
東〜根裂神
西〜磐裂神
南〜豊受姫神
北〜大国主神
天門〜天照大神
地門〜月読見神
鬼門〜埴安姫神
人門〜建速素戔鳴大神
これら八柱の神々は、根の神と言われるゆえ
「こんじん」と称えられる。
またこの八神は「表の神」と言い、
鎮魂帰神の神術(みたましずめのみわざ)の際に
斎き祀る。
(裏の神を「ひつじさる(坤)のこんじん」と言う)
鬼を「カミ」と読み、その神の通り道を「カミド」と言い、
これが鬼(カミ)の門(ト)、
つまり鬼門の金神(根神)の謂れとなる。
カミは、カミドと言われる八つの通り道を通って
中央に集まり留まる。ここをカムト(鬼止)と言う。
この中心の軸なるカムトを「天御中主大神」と言う。
カムトの神「天御中主大神」は、
またカミドを通って八つに分かれて八百万の神々となる。
これを「一神即多神」または「多神即一神」というなり。
このように、外から内へ、内から外への水火は、
螺旋からなる求心力と遠心力の働きであり、
これすなわち「八力」である。
これを言霊で解説すると
「ス」(天)から「ウ」(地)へ下り
「アオエイ」(八力)の働きをなし
「75声(劒)」に至るという意味となる。
また逆に「75声」から「アオエイ」に、
そして「ウ」〜「ス」に帰る。
この「神からの道、神への道」を鎮魂帰神と言う。
和良久の稽古は、言霊の助けを借りて
水火の実態を具現化し、すなわち
八神の活動力を実地に体現するものである。
それは根の神〜こんじんの心に帰するためである。
鬼門八神の「八」と、鬼止の「一」を足して九つの神(鬼)、
つまり「九鬼」となる。
鬼門とは丑寅(うしとら)、つまり東北の方角であり、
よって別称「うしとらのこんじん」とも言われ、
また「宇志採羅根真大神」という漢字があてられる。
(誌上講座356参照)
江戸時代に、九鬼氏が綾部城内の九鬼霊神社に
九鬼霊石を祀っていたが、
現代は播州の高御位神社に祀られる。
そして、明治25年の節分の夜、
福知山出身で綾部在住の出口直という
婦人の口から突然威厳有る声で、
以下の言葉が発せられた。
『三千世界一度に開く梅の花
うしとらのこんじんの世になりたぞよ
梅で開いて 松でおさめる神国の世になりたぞよ
須弥仙山に腰をかけ 鬼門の金神まもるぞよ』
綾部、亀岡、鞍馬、熊野、播州、下関、熊本・・・
宇宙から地球に、
大地から海原に、
伊勢湾、熊野灘、紀伊水道、
瀬戸内海、周防灘、玄界灘、
そして、大海を越えて中国へ、
モンゴルへイスラエルへ・・・
チンギスハーン、源義経、
弁慶(熊野水軍の統率者「湛増(たんぞう)」の子)
そして、佐々木小次郎・・・
水の働き〜水軍、瑞の御魂、水水火(劒)、水火・・・
様々な土地と人物が
水の精霊の力によってつながりを見せ、
夢は劒の先導により果てしなく大きく広がる。
ひょんなことから海を越え
答志の島に行ったらば
九鬼の大将あれこれと
教えてくださるありがたさ
まだまだ出てくるいにしえの
おもしろおかしき言い伝え
弱い頭をぺちぺちと
平手で叩いて刺激して
調べてみたらばこりゃ大変
もつれにもつれた因縁の
重き鎖がまとわりて
わが身をしばる恐ろしさ
そもそも私が産声を
あげしは丹波の福知山
はたまた頑固な今は亡き
播州育ちの麗蔵(れいぞう)爺
何を思いて山を越え
夜久野の村に流れしか
それがそもそも諸々の
奇しきえにしのはじまりぞ
続く・・・