特定非営利活動法人 武道和良久

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誌上講座 誌上講座

誌上講座59

75剱〜言霊剱 (16)

「対称の同時存在」

高速、かつ強力なる技を追求してゆくと、その動きは徐々に凝縮され、
やがて静止したかのように見えるようになってきます。

これは螺旋運動を思い起こしていただくと分かるのですが、
周囲の大きな円周から運動をスタートして、それを内側の中心に向けて
渦を描いていきます。

すると最終の到着地点は中心の点になります。
技の向上というのは、このように「○」から「・」に凝縮されていきます。

視覚的には近くから見ると大きな円ですが、遠くから見ると
小さな針の穴のような点に見えます。

遠い近いはありますが、これは同一の存在なのです。

中心に向うごとに、旋回が小さくなっていきます。

小さくなっていくと力の質量も小さくなっているのではと思いますが、
小さくなったのではなく「凝縮」されたのです。

周囲と真ん中は同じか、
もしくはもっと大きな運動質量を秘めています。

大きなお鍋で沢山つくったスープを、
小さな固形スープにしたようなものです。

稽古で例をあげたいと思います。

基本の「八剱」で説明しますと、「凝」という剱は吸う息で
剱が右上に45度の角度をもつ剱です。

「解」というのは吐く息で、やはり凝と同じような角度のある剱です。

とにかく「/」の形で打っているのが「凝・解」です。

この動きを詰めてゆくと、下から上がって打つ凝の動きも、
上から下がって打つ解の動きも、その上げ下げの動作が消えていき
「/」の形だけで事足りるようになります。

凝縮の成功により、あまり動かなくてもよいのです。
つまり、この形「/」をとるだけで「効く」のです。

『凝と解の打ちが、単に呼吸の使い方の違いだけで一見して
動作が同じに見える、しかし実は大きな違いがある』

『同じように見えるけど全くちがうんだ』

・・・こういう感覚が体で納得出来たらかなりのレベルにあるといえます。

もちろん凝と解だけではなく、その他の対称するすべての力分と合、
動と静、引と弛もそうです。

これは「外的筋力運動」から「内的呼吸力」へ転換されたおかげです。

目に見える動きは消えているが、見えない部分の動きが
ますます活発化していきます。

例えば水面上に優雅に浮かぶ水鳥。
しかしその水面下では、足を激しく動かしています。

人は物事に必死に集中するほど動かなくなります。

集中力は静的状態なのです。

体を使った鍛錬により、対称する存在を同一化させること。

そしてこれを心に納得させることが稽古です。

これにより「一瞬と永遠」がつながり
「人と神」についても「あっ、一緒だ・・・」と、理屈を越えて
静かに納得できる時があります。

対称の同時存在を成功させることにより
奥山先生のおっしゃった
「永遠に変わらないものだけに価値がある」
・・・の価値が見出せるのです。

これは思想だけの追求、つまり学問の中だけでは
真に至れる感覚ではありません。

人は体を使った実際的な鍛錬を通じてこそ、
その体験だけを通じてこそ、本当に心は納得していくものなのです。

体験のともなわない思想的だけによるもの
結局は泡雪のように消えていきます。

霊体一致は真実です。


続く・・・