稽古の段階 〜 思考を超える意識の発芽 その2
肉体の限界を突破した先に見えるものは
無限に広がる宇宙の如き「ふぅんわり」とした空間であった。
「壁」というものがある。
しかし、それは自分が設定した尺度であって、決して神は壁をつくらない。
「もうこの辺が限界だろう」
そう思っていてもまだ動けるもう一人の自分がある。
たとえ肉体は、極限の酷使によって滅びても、意識は滅びない。
むしろ肉体の限界点に達したことによって、その肉体と言う「衣」を
脱ぎ捨てることが可能となり、異次元への没入が容易になる。
意識は、生前となんら変わりなく、
逆に一層冴え渡り解放され解き放たれる。
肉体と言う、現界に身を置く為の重しを外され、
身も軽やかに上に向けてさらに浮上出来るのである。
まるで海底に潜っていた潜水夫が浮上のために、
重りを捨てて海上にあがっていくように。
天は軽く、地は重い。
死後、天に至らんと希求する者は、罪、執着という重りを身に
まとわぬようにせねばならない。
人は、天と地とのはざまに生きる(活きる)存在である。
そのはざまにおいて、真の活動をなさんとせば生前に天を知り、
かつ畏れ、地と和み、かつ親しまねばならない。
現界は、ここからここまでと言う区画のある思考と実体である。
それを超える意識は天と地にあり、
そのどちらにも片寄ることの無い存在こそ「人」なのである。
相対する両極、火と水、プラスとマイナス、陰と陽、善と悪、
その他、二元の真中でなければ生きて活動が出来ないのが人である。
稽古はそれを知り、それを活用する術を学ぶものである。
続く・・・